興津立雄の出身高校

興津立雄 プロ野球選手

興津立雄卒業高校
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性別
男性
生年月日
1936年5月19日生まれ

興津 立雄(おきつ たつお、1936年5月19日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(三塁手)。旧名は「達雄」。

静岡商業高校では四番打者、一塁手として、1954年の夏の甲子園に出場。2年生エース松浦三千男(阪神)を擁し、高松商、泉陽、高知商を連破して決勝に進出。しかし決勝では中京商の中山俊丈投手に0-3で完封され敗退、準優勝にとどまる。甲子園通算で4試合に出場し3安打、打率.200を記録。高校同期に滝英男捕手(阪神)がいる。

高校卒業時に慶応大学から勧誘を受けるも受験に失敗し、一旦富士製鉄に入社を決めるが、その後勧誘を受けて専修大学へ進学する。専大ではのち広島で同僚となる古葉毅と同期であった。大学1年生時からホームランバッターとして活躍し、その強打者ぶりから「東都の長嶋」と呼ばれた。東都大学リーグでは3度優勝。1957年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で杉浦忠、長嶋茂雄らの立大に0-5で敗れ、準優勝に終わる。リーグ通算96試合出場、272打数68安打、打率.250、5本塁打、35打点。ベストナイン(二塁手)1度受賞。

1959年に広島カープに入団。一年目より三塁手のレギュラーとなり、翌1960年には一塁手のレギュラーとしてチーム最多となる21本塁打(藤本勝巳と1本差でセ・リーグ2位)を放ち、オールスターゲームにも選出されるなど更なる飛躍が期待されたが、翌年の春季キャンプで第五腰椎分離症となり、以降はやや伸び悩んだ。

それでも、腰痛と闘いながら1962年から1965年までレギュラー三塁手を務め、この間の1963年には全試合出場を果たして、打率.303(リーグ5位)、93打点(リーグ3位。当時のチーム記録)をマークするなど、チームの中軸打者として活躍した。1966年以降は三塁手・一塁手の控えや代打を務め、1971年に引退。

引退時には打撃コーチ就任の要請もあったというが退団。水道工事会社勤務を経て、東京都杉並区高円寺で水道工事業『興立設備』を経営した。

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