石川遼の出身高校

石川遼 スポーツ選手

石川遼卒業高校
杉並学院高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
559位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
生年月日
1991年9月17日生まれ

石川 遼(いしかわ りょう、1991年9月17日 - )は、埼玉県北葛飾郡松伏町出身のプロゴルファー。カシオ計算機所属。ニックネームは「ハニカミ王子」。男子ツアー世界最年少優勝、日本での最年少賞金王記録保持者。

6歳の頃、父に連れられてゴルフ練習場に行ったのをきっかけに、ゴルフにのめりこむ。小学校時代は、サッカークラブ、園芸委員会に所属。当時から松伏町の自宅から車で30分程度の距離にある、千葉県野田市にあるゴルフ練習場に通って練習をしていた。中学校は、地元の松伏町立松伏第二中学校に進学。中学にゴルフ部がなかったため、陸上部に所属した。理由は、短距離走で足の筋力と体力を付けるため。

2004年に、全国小学校ゴルフ選手権横尾要カップで優勝。2005年関東中学校選手権、全国中学校選手権大会・春季大会を優勝するなど、全国規模の大会で常に上位を争うレベルにあった。

高校生となった2007年に行われた、マンシングウェアオープン KSBカップにアマチュア枠でツアー初出場。この大会に、日本のプロゴルフ大会においての史上最年少優勝を達成。男子ツアーでのアマチュア優勝は「中四国オープン」で優勝した1980年の倉本昌弘以来で、史上2人目。大会初日が暴風のため中止となり、最終日に2ラウンドが行われた。高校生でありながら、36ホールを回っての逆転優勝(2日目終了時点で7打差の23位)であった。この優勝は、世界最年少優勝記録(15歳245日)として、ギネス・ワールド・レコーズに認定された。

5月25日に、優勝報告のため、埼玉県庁を訪れた際、上田知事から県のマスコット・コバトンのぬいぐるみが贈られた。

同年7月に行われた、世界ジュニア選手権に出場し、個人23位。8月17日、霞ヶ関CCで行われた日本ジュニアゴルフ選手権男子15歳から17歳の部で、大会史上最年少の15歳11か月で初優勝。スコアは、大会レコードタイとなる3日間通算9アンダーで204。直後のフジサンケイクラシックでは、2日目まで首位と3打差の6位だったが、3日目でスコアを落とし、結局3日間通算1オーバーの214で15位に終わるがローアマチュア(出場アマチュア選手最上位)を獲得。東海クラシック、三井住友VISA太平洋マスターズでもローアマチュアを獲得する。また、マンシングウェアオープンKSBカップでの優勝により、その年のツアー優勝者に出場資格のあるゴルフ日本シリーズJTカップに、アマチュアとして初めて出場した。この年は、プロツアー8試合に参戦して5試合で予選を通過、4試合でローアマチュアを獲得する活躍を見せた。

2008年1月10日、記者会見を行いプロ転向を宣言。16歳3か月24日の史上最年少のJGTOツアープロとなる。また、2009年末までシード権を保有していることから、同時に史上最年少のシード選手となった。JPGAのプロゴルファー資格は2008年4月1日に取得。

2008年1月25日にはヨネックスと5年間総額10億円の用具総合使用契約(ボール以外のクラブ、ウェアなど)を結んだ。ヨネックスと契約をしたのは、石川が10歳のとき実父とヨネックス本社に赴き、用具提供の支援の依頼をし、それをヨネックスが快諾したという関係からとされる。ヨネックスの他に、所属契約をパナソニックと、移動サポートをANA、サングラスを山本光学などとも契約した。その他、4月1日からトヨタと2年契約、コカ・コーラと5年契約、NTTドコモと3年契約、新学社と1年契約(その後も更新を続け、2011年現在継続中)を交わした。パナソニックとの所属契約を2013年1月27日で満了、更新しないことをパナソニックが発表した。

プロデビューは2008年2月5日に行われたオーストラリアのシドニーで行われた全英オープン予選会で4オーバー(1日制、36ホール)の41位。国内ツアーデビューは2008年4月の東建ホームメイトカップで2日目、3日目に首位に立ったが、最終的に5位Tであった。その後は5戦連続予選落ちなどで低迷するが、長嶋茂雄Invitational セガサミーカップゴルフトーナメントで3位タイに入り復調の兆しを見せ、2008年8月21日から24日にかけて滋賀GCで行われた関西オープンでプロ転向後初優勝を挙げた。この際、「僕のプロ初優勝に立ち会えた皆さんも幸せなんじゃないですか?」と語った。2008年11月2日のABC・GCにてマイナビABCチャンピオンシップで優勝し、プロ転向後ツアー初優勝、ツアー通算2勝目を飾ると共に2010年までのシード権も獲得した。

2008年度の獲得賞金は106,318,166円で賞金ランキング5位に入り、史上最年少で1億円を突破した。また、史上最年少での賞金シードとなった。この活躍により史上最年少での内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞を受賞した。2008年シーズン終了後に行われたジャパンゴルフツアー選手会(JGTPO)において、JGPTO理事に選出された。

この年、出身地の松伏町の松伏総合公園に、石川選手を称える石碑が設置された。また、同町を管轄する吉川警察署の一日署長に任命された。

4月9日から開催されたマスターズ・トーナメントに、2008年シーズン終了時の世界ランキング60位であったため自動的に出場権を得ることはできなかったものの、17歳での日本ツアーでの活躍が認められ、特別招待された。17歳6か月でのマスターズ出場はアマチュア枠で出場したトミー・ジェイコブスの17歳1か月に次ぐ史上2番目の年少記録。プロゴルファーとしては史上最年少、日本人では戸田藤一郎の21歳を抜き史上最年少での出場。結果は73位で予選落ちとなった。

6月28日、よみうりCCで行われた全英への道 ミズノオープンよみうりクラシックで優勝、同時に7月の全英オープンの出場権を獲得し、日本人選手最年少での初出場を決めた。全英オープン選手権初日、石川遼は5バーディー、3ボギーの68、2アンダーの好スコアで回り、同組となった優勝候補のタイガー・ウッズのスコア71を上回ったが、2日目は後半に崩れトータル6オーバー85位。タイガー・ウッズと共に予選落ちした。

8月2日、小樽CCで行われたサン・クロレラクラシックでは、2番アイアンを入れて9番アイアンを抜くセッティングでプレイし、通算17アンダーで優勝。初日から4日間首位を守りきる完全優勝。9月6日、富士桜CCで行われたフジサンケイクラシックにて通算12アンダーで優勝。この優勝で賞金ランクトップに躍り出た。

この勝利によってワールドゴルフランキングは自己最高の47位となり、17歳11か月20日での史上最年少でのランキングトップ50入りを果たした。また、これが大きな要素となり、アメリカ合衆国代表と非米・非欧州地域代表で争われる団体戦・プレジデンツカップのインターナショナルチームに、キャプテン・グレッグ・ノーマンの推薦によって史上最年少で選出された。

10月4日、三好CCで行われたコカ・コーラ東海クラシックにて通算14アンダーで優勝。2年連続で獲得賞金額1億円を突破した。

10月8日 - 11日、プレジデンツカップに出場し、最終日には当時世界6位のケニー・ペリーに勝つなど、3勝2敗と世界選抜ではアーニー・エルスと並ぶ最多の3ポイントを挙げる大活躍を見せた。

12月6日、ゴルフ日本シリーズJTカップで3オーバー19位タイだったものの、年間獲得賞金額が1億8352万4051円で賞金王となった。これにより尾崎将司が1973年に26歳で達成した最年少賞金王記録を大幅に更新し、18歳80日とした。

12月7日、日本ゴルフツアー機構(JGTO)主催の2009年度 ジャパンゴルフツアー表彰式で、史上初の9冠(賞金王、最優秀選手賞、Unisysポイントランキング賞、平均ストローク賞、平均パット賞、バーディ率賞、ゴルフ記者賞、MIP賞、特別賞)に輝いた。

12月20日、男子ゴルフの2009年度最終の世界ランキングが発表され30位となり、2010年マスターズ・トーナメント招待の条件を満たした。

2月1日、SRIスポーツとゴルフボール使用契約を締結。

3月 - 杉並学院高等学校を卒業。2年生の時からツアープロとして活動していたため殆ど学校に通うことがなかった。しかし特待生としてスポーツ活動、ボランティアなどを20単位認められた。また学校の友達からFAXで授業日誌が送られレポートなどを提出していた。卒業式で校長から同中学の特別講師の委嘱状が手渡された。2年先輩に薗田峻輔がいる。大学へは進学せず、プロゴルファーとしての活動に専念。

4月4日より自らがホストを勤めるゴルフトーク番組「石川遼スペシャル RESPECT 〜ゴルフを愛する人々へ〜」がテレビ東京で放送される。

4月8日 - 9日、2回目のマスターズ出場も予選落ち。

5月2日、名古屋GC和合Cで行われた中日クラウンズにて最終日18位から通算13アンダーで逆転優勝。さらに、最終日は男子ツアータイ記録となる12バーディーを記録し、1ラウンド58は男子国内ツアー新記録で世界記録を達成した。また、日本男子ツアー史上最速(54試合目)かつ最年少(18歳7か月)で生涯獲得賞金3億円を突破した。

9月5日、富士桜カントリー倶楽部で行われたフジサンケイクラシックにて、薗田峻輔とのプレーオフを制し中日クラウンズに続く今季2勝目を挙げるとともに、自身初の大会連覇を果たした。

9月25日、石川が所属するパナソニック協賛(ホストプロ)の大会「アジアパシフィック・パナソニックオープン」第3ラウンド(会場・六甲国際ゴルフ倶楽部)・6番ホールで自らツアー競技で初のホールインワンを達成。

11月14日、太平洋C御殿場コースで行われた 三井住友VISA太平洋マスターズにて、前日首位のまま逃げ切り、通算14アンダーで優勝。

3月30日、3月11日に発生した東日本大震災の被災者支援のため、2011年度の国内ツアーとメジャー大会での獲得賞金全額を寄付し、さらに大会でバーディーを1つとるたびに10万円を加えることを発表した。前年度の獲得賞金約1億5千万円とバーディー数341から、目標額を2億円とした。これは国内・海外ともに大きな反響を呼び、イギリスの新聞「タイムズ」にも「本物の一流の人物」として、最終面の半分のスペースでこの行為が大きく取り上げられた。

この年2月にアメリカにおいて車の運転免許証と国外運転免許証を取得したが、石川は日本では3ヵ月アメリカに滞在しなければ無効で、無免許運転になることを知らずに5月下旬まで日本国内で運転していたことが6月9日発売の「週刊文春」で報じられ、父は「米国で確認したつもりだったが不十分だった」と述べている。6月9日、埼玉県警から任意で事情聴取を受けたとされ、翌10日、石川は記者会見で「自分の不注意、不手際でご迷惑をお掛けして本当に申し訳ない」と謝罪した。日本ゴルフツアー機構(JGTO)の小泉直会長は「警察が行政処分を下した場合には、JGTOとしてもどういった処分にすべきか協議する」とコメントしていたが、14日に開かれた日本プロゴルフ協会の理事会では処分を科さないことを決めている。

同年7月20日、無免許運転問題で、埼玉県警は道路交通法違反(無免許運転)の疑いでさいたま地検に書類送検した。

11月11日、太平洋C御殿場コースで行われた 三井住友VISA太平洋マスターズにて、前日首位のまま逃げ切り、通算15アンダーで優勝。2010年の本大会以来2年ぶり、史上最年少でのツアー通算10勝を挙げる。21歳1ヶ月の石川は、池田勇太の記録(26歳9ヶ月)を大幅に塗り替えた。

1月10日、米クラブメーカー・キャロウェイゴルフと3年18億の用具総合で正式契約したことを発表した。

米国ツアー24試合に加えて、国内ツアー10試合に参戦。

7月に行われた長嶋茂雄Invitational セガサミーカップゴルフトーナメントで、およそ2年振りとなる国内ツアー優勝を飾った。

9月に行われたANAオープンゴルフトーナメントで、大会ホストプロとして7度目の挑戦で初優勝した。また、12月に行われたゴルフ日本シリーズJTカップでメジャー大会初優勝。

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