相米慎二の出身高校

相米慎二 監督

相米慎二卒業高校
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82位 / 104人中 監督別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1948年1月13日生まれ

相米 慎二 (そうまい しんじ、1948年1月13日 - 2001年9月9日) は、日本の映画監督。

1948年1月13日、岩手県盛岡市で生まれた。1972年に中央大学文学部を中退し、長谷川和彦の口利きで契約助監督として日活撮影所に入所した。長谷川や曽根中生、寺山修司の元で主にロマンポルノの助監督を務めた。

1980年、薬師丸ひろ子主演の『翔んだカップル』で映画監督としてデビューした。翌1981年、『セーラー服と機関銃』で興行的な成功を収めた。1983年には吉村昭原作の『魚影の群れ』を発表。1985年の『台風クラブ』は第1回東京国際映画祭でグランプリを受賞した。同年、斉藤由貴の映画デビュー作となった『雪の断章 情熱』を監督した。また、同年のロマンポルノ作品『ラブホテル』は賛否両論を呼んだ。

その後、1993年の『お引越し』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。同作は第46回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品された。翌1994年には湯本香樹実原作の『夏の庭 The Friends』を発表。湯本に原作小説を執筆するように勧めたのも相米監督であった。1998年の『あ、春』は1999年度キネマ旬報ベストテンの第1位に選出されたほか、第49回ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。2001年、小泉今日子主演の『風花』を発表。次作として浅田次郎の『壬生義士伝』の映画化を準備していたが同年9月9日に肺癌のため53歳で死去した。生涯独身であった。

薬師丸は映画『セーラー服と機関銃』で、生身の姿を人前にさらけ出す覚悟がカメラ前に立つには必要であること、演じることの厳しさ、恐さを相米監督から教わったと薬師丸は話している。そして、あの時期があったからこそ、薬師丸は女優を続けられていると感謝している。

脚本家の田中陽造は、脚本の修正を要求されることなく、仕事のし易い相手だったと言い、監督には甘えさせてもらったと回顧している。

俳優の寺田農は相米の監督第2作『セーラー服と機関銃』から遺作『風花』まで、『東京上空いらっしゃいませ』を除くすべての作品に関わっている。メイキングのナレーションをしている『お引越し』、クレジットはされているが1カットも出演していない『魚影の群れ』・『光る女』、老人の特殊メイクをしているのに、ロングショットのため誰だか判別できない『台風クラブ』。

斉藤由貴は主演した『雪の断章 -情熱-』のバイクのシーンでケガをすれば、この映画から逃げられると思った。現場のつらかった思い出しかなかったと振り返るが、映画の撮影が終了を迎えるころ、相米から、10年後、大人になった斉藤と再度仕事をしたいと言われる。それから10年以上経過してから、『あ、春』の話があり、不安もあったが絶対出るべきだと迷わず出演を決める。リハーサル数は5分の1くらいに、監督の草履は靴に変わっていた。監督の前に出ると嘘がつけず、余分な垢が付いた自分を発見させられ、斉藤にとって相米との出会いは自分を見直すターニングポイントになったと話している。

プライベートではギャンブル好きで、競馬・競輪に出かけることが多く、仕事をすっぽかしてまで競馬に行くこともしばしばだったという。同じくギャンブル好きで知られる囲碁棋士の藤沢秀行とは、相米監督の生前に藤沢を題材としたドキュメンタリー映画を制作する企画が持ち上がったことから交友があり、2009年12月には相米が撮影した映像を元に構成されたETV特集『迷走 碁打ち・藤沢秀行という生き方』(NHK教育)が放送されている。

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