田面巧二郎の出身高校

田面巧二郎

田面巧二郎 プロ野球選手

田面 巧二郎(たなぼ こうじろう、1990年12月9日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手・育成選手)。

1990年12月9日に群馬県山田郡大間々町(現・みどり市)で生まれ、1999年に地元の少年野球チームである大間々東小リトルジャイアンツで野球を始める。この時のコーチは、田面が小学校6年生の時、練習試合なども含め年間トータルで約500打席に立ったが、全打席のうち三振は4しかなかったという。また、当時はその打力を買われ、中軸を打っていたという。この頃から「速球派の田面巧二郎君」と東京新聞に書かれるなどしており、速球派として知られた。

高校は、桐生市立商高に進学する。主力投手として活躍し、2008年の3年時の夏は群馬県予選ベスト4まで進出する。甲子園出場経験は無し。

高校卒業後は、社会人野球の日産自動車に入団するも1年目で休部が決まり、翌2010年からJFE東日本に移籍する。社会人4年目の2012年に第83回都市対抗野球大会に出場し、3試合に登板し、チームのベスト4進出に貢献した。

2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受け、12月3日に正式に入団が決定した。入団時には球団からは減量を厳命され、それを受けて3Kgの減量を約束している。

2013年には、春季キャンプを二軍で迎えたが、2月12日から2月24日まで一軍でプレー。しかし、レギュラーシーズンでは一軍昇格の機会がなかった。二軍では、5月7日の育成試合で初登板するものの、その後の13試合(非公式試合を含む)で四死球20個と制球面での課題を露呈。6月中頃から8月中頃までは、実戦から離れて調整に専念していた。なお、実戦復帰後には、非公式戦を含め8試合で1失点と投球内容が安定。ウエスタン・リーグ公式戦でっは、通算8試合の登板で、1勝0敗、防御率2.79という成績を残した。

2014年には、ウエスタン・リーグ公式戦6試合に登板。0勝0敗、防御率8.44という成績にとどまった。入団以来2年連続で一軍公式戦への登板機会がなかったことから、シーズン終了後には、支配下選手契約から育成選手契約へ移行した。

2015年には、阪神球団がBCリーグの福井ミラクルエレファンツと業務提携を結んだことを背景に、同リーグの前期限定(4月1日から6月30日まで)で福井に派遣。福井でリーグ戦19試合に登板した後に、同じ育成選手の佐村・トラヴィス・幹久と入れ替わる格好で、7月1日から阪神に復帰した。復帰後は、ウエスタン・リーグ公式戦9試合に登板。0勝0敗、防御率4.50という成績を残した。なお、シーズン終了後の11月13日には、育成選手としての再契約で球団と合意している。

最速151km/hのストレートとスライダー、フォークを武器とする。このような球速から、入団当初は即戦力として期待されていた。また、藤川球児(2012年まで阪神へ在籍した後に2016年から復帰)を彷彿とさせることから、球児2世の呼び声も高い。

その一方で、制球に難があり、JFE東日本の青野達也監督も「好調と不調の波はあるものの、ノビしろは十分」と評している。

阪神OBの金本知憲が一軍監督に就任した直後の2015年秋季キャンプ序盤には、「ファンの前で金本監督に初めて怒られた選手」として、田面の名前が一斉に報じられた。金本がキャンプ初日(11月1日)の冒頭に大きな声での挨拶や返事を選手へ求めたにもかかわらず、その1時間後の走塁練習中に、コーチからの注意を受けた田面が小さな声で返事したことによる。しかし、金本の発案で同月3日に急遽実施された紅白戦では、育成選手から唯一の登板で救援投手として1イニングを9球で三者凡退に抑えた。この投球に対して、金本は「直球にもう少しコントロールや力が出てきたら、(一軍でも)1イニングは完璧に抑えてくれそうなイメージがある」という表現で田面を評価している。

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性別
男性
生年月日
1990年12月9日生まれ

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