玉木朋孝の出身高校

玉木朋孝 プロ野球選手

玉木朋孝卒業高校
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性別
男性
生年月日
1975年6月13日生まれ

玉木 朋孝(たまき ともたか、1975年6月13日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(内野手)。

2011年から広島東洋カープ二軍守備走塁コーチを務めていた。

2015年からは、一軍守備走塁コーチに就任する。

修徳高では同期に高橋尚成がいた。1年秋から四番・遊撃手を任され、3年春に腰を痛めてフォームの修正に時間がかかったものの夏の都大会では準決勝で同点2点タイムリーを放つなど、チームの夏の甲子園出場に貢献。本大会では育英との準々決勝で公式戦9本目となる本塁打を打っている。大型遊撃手として評価されて同年のドラフトで広島東洋カープに3位で指名を受け、契約金と年俸それぞれ5,000万円、480万円(いずれも推定)で入団した。

1999年に初の一軍出場を果たすが、結果を残せず2000年オフに自由契約となり、オリックス・ブルーウェーブに入団した。2002年には、自己最多の49試合に出場し、規定打席には到達していないものの打率.302の成績を残した。試合終盤、代走や内野の守備固め(※主に三塁手・二塁手の守備固め)での出場が多い中、シーズン得点6と代走の役割を全うする。また失策0と鉄壁な守りでチームの勝利に貢献した。

2004年9月27日、オリックス・ブルーウェーブとしての最後の試合で9番サードでスタメン出場する。またその試合、終盤ファーストに守備変更、9回表2死、大阪近鉄バファローズ、星野おさむ(※大阪近鉄バファローズ最後の打者)が放ったセカンドゴロを4-3と受け取り、オリックス・ブルーウェーブとして、最後の刺殺(ウィニングボール)を記録する。

2005年の選手分配ドラフトではオリックス・バファローズに振り分けられ、引き続きオリックスと契約。同年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。

引退後は広島に戻り、スコアラー(先乗りスコアラー)を務めていた。2011年に同球団の二軍守備・走塁コーチに就任した。

RCC広島カープ携帯サイトでコラム、「玉木朋孝のスコアブック」を更新している。シーズンオフでも更新頻度は高い。※一軍守備走塁コーチ就任に伴い、2014年12月26日のコラムが最終更新。

2014年10月29日、2015年度のコーチング・スタッフが決定され、一軍守備・走塁コーチに就任することが決まった。

プロスポーツ昭和50年会の会長としても活躍している。

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