猪本健太郎の出身高校

猪本健太郎 プロ野球選手

猪本健太郎卒業高校
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3775位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1990年12月23日生まれ

猪本 健太郎(いのもと けんたろう、1990年12月23日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。

1990年12月23日に熊本市で生まれた。2005年、熊本市立飽田中学校3年生の時に井手らっきょが熊本市内に開校した野球スクールプロフェッショナル・ベースボール・アカデミーの1期生として入校した。

鎮西高校野球部では、1年夏からスタメン出場し、1年秋から正捕手・クリーンナップとなった。2005年、3年時は立岡宗一郎らと強打のチームを形成し、春は準決勝で熊本国府高等学校、夏は準々決勝で熊本県立済々黌高等学校に敗れ、甲子園へは出場できなかった。

2008年10月30日、ドラフト会議(育成選手ドラフト)で福岡ソフトバンクホークスから4位指名された。

二軍ではウエスタン・リーグに14試合出場し、わずか18打席で3打点を挙げた。11月に左手尺側根伸筋腱脱臼により手術を受けた。

7月22日に長崎ビッグNスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに9番捕手で先発出場し、戸村健次からソロ本塁打を放った。このホームランは史上初となる育成選手のフレッシュオールスターゲームでのホームランで、優秀選手賞に選ばれるという快挙を成し遂げた。二軍では44試合に出場し打席数を増やしたが、打率.168、1本塁打に終わった。

二軍での出場も11試合に終わったが18打数で2本塁打を放った。

二軍で39試合に出場した。10月6日のファーム日本選手権では9回に代打としてコールされたが、千葉ロッテマリーンズの投手交代によってさらに代打を送られたため打席に立つことはなかった。

10月31日、規約に基づき自由契約公示され、11月10日に育成選手として再契約した。

二軍で86試合に出場し、14本塁打(リーグ2位)を放ち、ウエスタン・リーグ優勝に貢献した。10月6日ファーム日本選手権に6番・一塁手として先発出場したが3打数無安打に終わった。

11月21日に支配下登録され、背番号は125から68に変更となった。11月23日に台湾で行われるウィンターリーグへ派遣され、日本チームで4番・一塁手として21試合に出場し打率.344、2本塁打19打点だった。

7月29日、一軍出場選手登録され、同日郡山総合運動場開成山野球場で行われた対東北楽天ゴールデンイーグルス戦の9回の表一死二塁明石健志の代打としてプロ初出場した。長谷部康平からレフトへヒットを放ち、打点は付かなかったが牧田明久のファンブルにより本多雄一が生還しチームは1点を挙げた。これがプロ初打席初安打となったが、出塁後は代走の金子圭輔と交代したため守備機会はなかった。一軍出場はこの1試合のみで8月1日に登録抹消された。二軍では102試合に出場して打率.300(リーグ5位)、17本塁打(リーグ1位)、64打点(リーグ2位)の成績を残し、ウエスタン・リーグの優勝に貢献し、11月26日のNPB_AWARDSで最多本塁打者として表彰された。10月4日のファーム日本選手権では6番・一塁手で先発出場して本塁打を放った。

2015年度より内野手登録となった。

高校時代は通算31本塁打を記録し、両翼99mの熊本県藤崎台球場で場外弾3本を放つ長打力を買われてプロ入りした。ウエスタン・リーグ公式戦でも6年通算で726打数38本塁打と19.1打数に1本のペースで本塁打を放っている(2014年シーズン終了時)。

高校時代は遠投105メートルと肩も強かった。

守備では二軍では2010年まで捕手として出場していたが、2011年から一塁手としても出場し、2012年以降は一塁手が主となり、2014年に捕手としての出場が無くなった。外野にも挑戦し、左翼手で2012年と2013年に二軍通算8試合出場している(2014年シーズン終了時点)。

井手らっきょが開校したプロフェッショナル・ベースボール・アカデミー初のプロ野球選手である。

高倉健のファンであり、本拠地で流れる登場曲を「唐獅子牡丹」にした。

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