渡辺省三の出身高校

渡辺省三 プロ野球選手

渡辺省三卒業高校
西条高校 偏差値 愛媛県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
1528位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1933年2月26日生まれ

渡辺 省三(わたなべ しょうぞう、1933年2月26日-1998年8月31日)は、愛媛県越智郡宮浦村出身のプロ野球選手(投手)、投手コーチ、スカウト。右投げ右打ち。6歳のとき軍属として徴用された父とともに朝鮮に渡り平壌工へ。終戦後に帰国し、西条中(旧制)へ入学、野球を始める。その後は倉敷レーヨン西条に入社、軟式野球をやっていたが、1951年10月に阪神タイガースの入団テストを受け、合格する。2年目の1953年、コントロールの良さを買われてキャンプに打撃投手として帯同し、紅白戦でエース・梶岡忠義の右手甲に死球を与えてしまう。オープン戦で梶岡の代役として投げたところ好結果を出し、一軍に昇格した。同年4月3日の横浜ベイスターズ 洋松戦で初登板を飾ると、5月13日の洋松戦で初勝利。10勝11敗の成績を残すと、以降は1958年まで6年連続で二桁勝利を挙げるなど、チームに欠かせない戦力となり、特に1956年には22勝、防御率1.45で最優秀防御率のタイトルに輝き、1958年には開幕投手を務めた。球速は全くないものの、打者心理を読む投球術と抜群の制球で相手を幻惑させ、後にエースになった小山正明や村山実に影響を与えた。小山は「ピッチングにはコントロールが一番大切だと教わった」と語り、「投げる精密機械」と呼ばれるほどのコントロールを身につけた。村山は「ピッチングは力だけやないことを省さんに教わった」と言い、エースとして2度の優勝に貢献した。また、「省やんボール」と呼ばれる上方からベース上へ落とす超スローボール(どうやらナックルボールだったらしい)を何度か投げ、話題になった。自身は「スロー球種 (野球)#変化球 カーブのように言われたけど握りからいってもスローナックルで、おそらく時速は50キロぐらいだったと思う」と語っていた。

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