水谷隼の出身高校

水谷隼 スポーツ選手

水谷隼卒業高校
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スポーツ選手ランキング
1186位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
生年月日
1989年6月9日生まれ

水谷 隼(みずたに じゅん、1989年6月9日 - )は、日本の卓球選手。

2006年日本スポーツ賞優秀選手。北京オリンピック、ロンドンオリンピックの日本代表。日本選手権男子シングルス優勝7回。

172cm、66kg。

静岡県磐田市出身。小さい頃はサッカーなど様々なスポーツをしており、何をしても万能タイプだったという。両親が卓球経験者であり、父が代表を務める豊田町卓球スポーツ少年団に第1期生として入って5歳から卓球を始める。当初は右利きだったが、卓球経験者の両親が左の有利性を考え、卓球の利き手を左に矯正した。小学校1年生時に初出場した全日本卓球選手権大会バンビの部(小学校2年生以下)で準優勝し本格的に卓球の道に進む。翌年バンビの部で優勝するとその後もカブ、カデットの部と優勝を重ね、中学になると卓球面での環境を考え、福原愛などを擁する青森山田中学校に転校、青森で寮住まいをすることになった。

中学2年で出場した2004年1月の全日本卓球選手権ジュニアの部で優勝(男子では史上最年少)、また一般の部もランク入りし、その天性の柔らかいボールタッチから話題になった。15歳になり青森山田高校に進学した。2005年には15歳10ヶ月という当時の日本男子史上最年少で世界選手権代表に選出された(現在は丹羽孝希が最年少)。当時の日本代表はアテネオリンピックなどの惨敗を受け、一気に若返りを図り水谷はその中でも最年少であった。当時の水谷は時として世界ランキング上位の選手に勝利を収めることもあった。また、代表の強化選手となったことで、岸川聖也らと共にドイツに留学。ドイツリーグの1部でプレーして、一年の大半をドイツで過ごした。

2005年の第48回世界卓球選手権個人戦では当時世界ランク8位、アテネオリンピック5位であった荘智淵(台湾)をフルゲームの末破った。当時、靖国神社参拝問題などにより日中関係が悪化し上海で行なわれたこの大会で大半の観客が水谷の相手選手である荘智淵に声援を送る中での勝利であった。同じ年に行われたアジア選手権では当時世界ランク2位、アテネオリンピック銀メダリストである王皓(中国)を破るなど日本の若きエースとなっていた。2006年初頭には足を疲労骨折するなどのトラブルもあった。

2006年(平成18年)度の全日本では男子シングルス、男子ダブルス、男子ジュニアの部シングルスを制し3冠を達成した。このうち男子シングルスでは3連覇を狙った吉田海偉を決勝で破り、史上最年少の17歳7ヶ月での優勝であった。この優勝で2007年クロアチア・ザグレブでの世界選手権(シングルス)の出場が決定した。

2008年の北京オリンピックでは団体で5位入賞、2009年の第50回世界卓球選手権個人戦では岸川聖也とのダブルスで銅メダルを獲得した。またその後に続いた中国オープン、荻村杯では同ダブルスで連続優勝している。

2009年、韓国オープンにおいて準々決勝で朱世赫、準決勝でオフチャロフ、決勝で郝帥といった格上の強豪を次々と撃破し、優勝した。また、同年のアジア選手権団体戦では、中国との決勝戦で2-1先攻で迎えた水谷vs許昕戦で、最終ゲーム10-7のマッチポイントからジュースに持ち込まれ惜しくも逆転負けを喫したものの、中国の同年代に対し対等に戦った一戦であった。年を経るにつれ体の細さを補う筋力も徐々につき、本来後ろでプレーすることを好む選手だったが、平成20年度の全日本では積極的に前に出て回り込む戦法を心がけ、優勝した。4連覇が懸かっていた平成21年度全日本卓球選手権大会の男子準決勝でも張一博にゲームカウント1-3のポイント7-9まで追い込まれながら、そこから粘りを見せて勝利、決勝も吉田海偉をストレートで下し4連覇を果たした。

初優勝を果たした平成18年度から、田崎俊雄、坪口、岸川聖也、張一博といった選手に毎年敗北の際まで追い詰められながらも逆転する、という精神的な強さを見せていた。

平成22年度の全日本で、男子ダブルスにおいては決勝で松平健太・丹羽孝希組に破れて5連覇はならなかったものの、シングルスにおいては初戦から圧倒的な力の差を見せつけ優勝し、史上初の男子シングルス5連覇を達成した。

2011年度の全日本選手権では、男子シングルスで準決勝まで順当に勝ち上がるものの、決勝で吉村真晴にフルセットの末3-4で敗れ、6連覇を阻まれた。

2012年に明治大学を卒業後、4月1日付でスヴェンソンと所属契約を結んだことがこのほど日本卓球協会より発表された。7月4日付世界ランキングで自己最高の5位となり、ロンドンオリンピックでは男子シングルスで第3シードとして挑んだ。初戦の3回戦は突破したものの4回戦で敗退。

2012年10月に、卓球のラケットのラバーに違法行為である「補助剤」を、多くの選手が使用している卓球界の現状を問題提起。国際試合への出場を取りやめ、問題の解決を訴えた。しかし問題の解決には時間がかかり、選手としてプレーをしたいという思いも強く、半年後のワールドツアー・クェートオープンに参戦し、国際試合に復帰する。 2013年世界選手権パリ大会でダブルス3位、2013年度全日本卓球選手権大会では、3年ぶり6度目のシングルス優勝を達成する。

左シェーク裏裏オールラウンド型。小さい頃から天性の卓球センスを持っており、柔らかいボールタッチと高い身体能力を活かした万能型のプレースタイルを取る。ラリーにおけるボールのコースの読みに優れ、ブロックを有効な戦術として用いることのできるヨーロッパ型のタイプである。日本卓球協会のコーチであるマリオ・アミズィッチによればブロッキング・ゲームを主体に戦える数少ない逸材であるという。

得意な技術はサーブとフォアハンド、そしてミドルのブロック、またロビングも得意である。特にサーブは、20種類ものレパートリーを誇る。 平成17年度全日本選手権にて松下浩二、北京オリンピック団体戦にて陳衛星にストレートで敗れていたため、カット打ちが課題とされていた。しかし、2009年の韓国オープンにて朱世赫を破るなど、克服の兆しが見えている。

日本卓球の前原正浩強化本部長は「何十年に1人の天性のボールタッチ」と語っている。

自分と同じ左利きの選手を苦手としており、その代表的な選手はメイス、陳玘、許昕などである。

※最高成績

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