櫻井よしこの出身高校

櫻井よしこ ジャーナリスト

櫻井よしこ卒業高校
長岡高校 偏差値 新潟県高校偏差値ランキング
ジャーナリストランキング
36位 / 60人中 ジャーナリスト別偏差値ランキング
性別
女性
生年月日
1945年(昭和20年)10月26日生まれ

櫻井 よしこ(さくらい よしこ、1945年(昭和20年)10月26日 - )は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。国家基本問題研究所理事長。本名は櫻井 良子(さくらい よしこ)。以前は本名の「櫻井良子」名義で活動していたが、1994年4月に平仮名で「櫻井よしこ」との表記に改めた。

ベトナム民主共和国・ハノイの野戦病院で日本人の両親の間に生まれた。帰国後は大分県中津市に住むが、のちに母(小千谷市出身)が郷里である新潟県長岡市に転居した。

新潟県立長岡高等学校卒業。上京し、慶應義塾大学文学部に進学するが中退し。、その後、ハワイ大学マノア校歴史学部を卒業。

英字新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』東京支局などを経て、1980年)5月から1996年3月まで日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターを務めた。『きょうの―』降板直後、藤岡信勝・小林よしのり・西尾幹二らと共に「新しい歴史教科書をつくる会」立ち上げに参画。以後は右翼(大日本帝国肯定)的主張が目立つようになる。

1995年に薬害エイズ事件を論じた『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で第26回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。なお、薬害エイズ事件で櫻井から厳しく追及された安部英は無罪判決を受け、櫻井は名誉毀損で訴えられた(後述)。

2007年12月、国家基本問題研究所を興し、初代理事長。2012年10月、インターネットテレビ「言論テレビ:櫻LIVE」を始める。2014年10月、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を、2015年8月には「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」を結成。

『報道2001』(フジテレビ)や『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)などの討論番組に、不定期で出演している。『新報道プレミアA』(フジテレビ・関西テレビ)ではレギュラーコメンテーターを務めた。

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福島第一原子力発電所事故後の平成23年(2011年)7月14日、産経新聞社主催の第256回全国縦断「正論」鹿児島講演会で講演し、「核をつくる技術が外交的強さにつながる。原発の技術は軍事面でも大きな意味を持つ」と主張し、「原発を忌避するのではなく、二度と事故を起こさないようにする姿勢こそ必要」と強調した。

平成24年(2012年)12月8日、福島県郡山市の福島県双葉郡8町村の議員研修会で講演し、「年1ミリシーベルトの除染基準は古里再生のために緩和すべきだ」、「放射線には幅広い意見があるが、政治家は事実を見るべきだ。人類が持つ科学的事実は広島、長崎、チェルノブイリの疫学データしかない。国連科学委員会や国際放射線防護委員会は100ミリシーベルト以下の影響に有意性はないと結論付けている」、「科学的根拠のない年1ミリシーベルトを除染の基準にして大量の土砂を積み上げ、自分たちで新たな問題をつくり出している。大人は年20ミリシーベルト、子どもも10ミリシーベルトまでは大丈夫と、国の責任で言わなければならない。町村議は住民と一緒にうろたえていてはいけない」と発言した。

2014年11月9日、沖縄県知事選の最中に沖縄県豊見城市で行われた講演会で、「中国の脅威の最前線に否応なく立たされている沖縄を『力強い砦』にしないといけない」「中国に侵略されないような『防人』になって、もう一回、日本を盛り立てる」と、沖縄県の住民が防人になることを望む発言した。

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