栗城史多の出身高校

栗城史多 その他

栗城史多卒業高校
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生年月日
1982年6月9日生まれ

栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 - )は、日本の登山家、起業家。株式会社たお代表取締役。北海道瀬棚郡今金町出身。北海道檜山北高等学校、札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシーと2011年9月から業務提携。

「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で高所登山を行っている。エベレストには単独無酸素登頂と頂上からのインターネット生中継 を目指し、2009年9月チベット側、2010年9月ネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。2011年8〜10月に前年と同じネパール側から3度目の挑戦をしたがサウスコル7900mに達せず敗退。2012年10月に西稜ルートから4度目の挑戦も強風により敗退。

「元ニート」 「元引きこもり」 を自称しているが、これはあくまでキャラクター作りのための設定であり、実際にはそのどちらでもない。「元ニート」を名乗るようになったきっかけは、栗城の全国デビューとなる企画に、「電波少年」で知られる日本テレビプロデューサーの土屋敏男が『ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ』というタイトルをつけたためである。

栗城はその登山活動において「日本人初となる世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦している」との文言をマスコミ向けに使用している。

世界七大陸最高峰において、通常酸素ボンベを使用する必要があるとされるのは標高8000メートルを越えるエベレストのみであり、その他の六大陸の最高峰においては元々、酸素ボンベを必要としていない。 2015年9月現在、栗城はエベレストへの登頂に成功していない。 なお、日本人の無酸素でのエベレスト登頂は1983年の川村晴一らによって達成されて以降、2010年までに7名が成功している他、世界的には無酸素登頂が価値あるものとして記録された1978年から1995年までに延べ70名の登山者によって達成されている(下山中の死亡者を含む)。

また、登山における「単独登頂」については明確な定義が無く、登山者間の相互評価に任されている現状にあるが、過去の著名な登山家たちは、単独登頂の評価を得るため、自らの行動に厳密なルールを課している。 1995年5月13日にエベレスト無酸素・単独登頂に成功したイギリス人女性のアリソン・ハーグリーブス(Alison Hargreaves)は、固定ロープを使用しないことは勿論、他の隊から勧められた紅茶すら断っている。 栗城は自らを単独登山者(ソロ・アルピニストと呼称)としているが、エベレスト以前に成功した他の六大陸最高峰登頂の段階から他者の設置した固定ロープを使用している他、プロフィール記載の実績のほとんどが他の登山客で溢れ必然的に先行者が雪を踏み固めたトレースを辿ることとなるハイシーズンのノーマルルートで為されたものである(マッキンリーでの植村直己の遭難は条件が大きく異なる厳冬期である)。 更に栗城は、登山に際して現地人ガイド添付が義務付けられているキリマンジャロにおいても単独登頂を達成した、としている。

登山の専門誌『山と渓谷』は、2012年3月号で栗城の「単独無酸素」を「その言葉に値しない」と否定した。

2012年5月に日本人初となる8,000m峰全14座に登頂した竹内洋岳は、2008年に自らの公式ブログにて、「単独無酸素」の表現を用いながら栗城が紹介されているクライミングウェアの広告に対し、「彼(栗城)自身の目標に向かう姿は素晴らしい」としながらも、「なぜ彼は『単独』『無酸素』という言葉をこうも安易に使ってしまうのだろうか?(中略)恐らく、この栗城さん自身は『単独』とか『無酸素』とかの意味をそこまで深くは考えていなかったのかもね。(中略)たぶん、彼の周りにいる大人がなにか『美味しい都合』で、いろいろ脚色したんじゃないかな? よくわからない一般の人々を、だまそうとしてるみたいな広告…」と評している。(以下参照)

一般的に登山界で言われる「単独登頂」とは、登山の行程のほとんどを一人で行い、ベースキャンプより上で他者からのサポートを一切受けず、あらかじめ設営されたキャンプ、固定ロープ、ハシゴ等も使わずに登ること(アルパインスタイル)を指す。栗城の言う「単独」登頂とは、ベースキャンプから自らの荷物を全て背負い登頂することのみを指すため、アルピニズムの見地から評価される「単独登頂」とは異なる。栗城は他の登山隊が設置した固定ロープ等を使って登頂している。またヒマラヤ登山の際には、栗城隊と呼ぶ大規模なサポート隊を編成し、シェルパが固定ロープ設置などのルート工作やキャンプ設営を行い、無線により気象情報や行動計画などのサポートを受けて登っている(極地法と呼ばれる)。なお栗城は、キリマンジャロやエベレストなどで過去に数回、自力下山が困難になり、シェルパやポーターに救助されている。2015年のエベレストに際しては、ヒマラヤにおける栗城のサポートを行っているボチボチトレック社のティカ・ラム・グルンは「C2まで6人のサポートが随伴した」と発言している。

「酸素ボンベ」を使用しないで登ることを、高所登山の世界では単に「無酸素」と呼ぶ。 栗城の登山では、1つ下のキャンプにシェルパのサポート隊が酸素ボンベを用意して待機しており、いざというときは酸素ボンベを持って救助に行ける体制になっている。栗城は2010年のエベレストで7900mのサウスコルに到達できず撤退。下山途中にインターネットによる生中継で「前日に体調が悪かったため、シェルパがC3に上げた酸素を吸った」と公言。生中継中にも酸素ボンベを使用した。

なお、一般的に登山界で使われる意味での「単独無酸素」では、ラインホルト・メスナーなどが知られている。

栗城の著書『一歩を越える勇気』で、「わらしべ登山家は毎日、各界で活躍する人たちに会いに行っている。」と記している。わらしべとはわらしべ長者を意味する。通常、エベレスト登頂のためには、入山料、渡航費用、シェルパを含むスタッフなどの多くの費用が必要となる。このため、金なし・コネなしの若い登山家が登頂を実現するためには、スポンサーの資金協力が必須となる。登山活動以外に、日本全国で講演活動を行い登山活動資金を集めている。また、自ら多くの企業のトップの人たちと面談を行い、協力のための営業活動を行っている。2010年のエベレスト挑戦の際には、複数のスポンサー協力を実現している。

「冒険の共有を」テーマに一年の半分ほど全国で講演活動を行っている。講演スタイルは栗城単独と他者とのコラボによる講演会に分けられる。単独開催では小中学校、高校、各種団体企業から招かれての講演と栗城の熱烈な個人ファンが組織した実行委員会主催などが多い。他者とのコラボでは山崎拓巳、中村文昭、てんつくマン(軌保博光)、大嶋啓介、等と共演をしている。主催は共演各氏の熱烈な支持者が組織した実行委員会が多く、(株)日本成功学会が母体の3%の会なども主催、後援している。

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