星山晋徳の出身高校

星山晋徳 プロ野球選手

星山晋徳卒業高校
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性別
男性
生年月日
1938年7月7日生まれ

星山 晋徳(ほしやま しんとく、1938年7月7日 - )は愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手。

中京商業高校(現:中京大中京高校)では、1956年の春の甲子園で優勝し、夏の甲子園に出場している。同チームの4番打者であった。1学年下に本間勝がおり、1957年11月8日に星山・本間の二人併せて大阪タイガース入団が発表された。しかし、一塁手のレギュラーは藤本勝巳で、さらに同期のライバルで遠井吾郎がいたこともあり出場機会が少なかった。1960年は代打を中心に62試合に出場した。しかし、同年オフに伊奈努・横地由松との交換で、西尾慈高と共に中日ドラゴンズに移籍。移籍後は3試合の出場にとどまり1年で国鉄スワローズに移籍。移籍した初年度から一塁手のレギュラーに定着。翌1963年もレギュラーだったが、その後はスタメンを外れる事が増え、代打を中心に活躍した。1965年に引退した。

1962年7月21日、後楽園球場での対阪神タイガース戦では一塁の守備についていたが、同僚の村田元一投手があと一人で完全試合達成という場面で27人目の打者・西山和良の打球の処理を誤り、村田の快挙を潰してしまった(記録は内野安打、試合結果は村田の1安打完封勝利)。しかし、村田はその後しばらく星山には口も聞いてくれなかった、という(星山自身の引退後の証言による)。

現役最晩年の1965年6月24日に明治神宮野球場での対広島カープ戦では本塁打を放ったものの、一塁走者を追い越してしまったために、幻の本塁打になってしまった。

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