早川 雪洲(はやかわ せっしゅう、1889年6月10日 - 1973年11月23日)は千葉県千倉出身の俳優。サイレントムービー時代の日本人初のハリウッドスターとなる。日本人としてもっとも活躍した国際スターであった。本名早川金太郎。網元の子として生まれ、海軍軍人を夢見る少年時代を送る。海軍予備学校(現・海城高校)卒業後、身体検査で海軍を不合格となり、自殺未遂(割腹自殺を図ったとされる)。回復後渡米し、シカゴ大学にて学び、一時期フットボール部にも所属していたという。同大学卒業後、ロサンゼルスのリトルトーキョーにあった劇団で脚本を書くようになり、舞台にも立つようになった。それが認められて映画(トーマス・H・インス監督の「タイフーン」がデビュー作とされる)に出演するようになり、1915年の「チート」(セシル・B・デミル監督)で、人妻に焼きごてで焼印をする冷酷な日本人青年を演じて大スターとなった。1918年には自分のプロダクション・カンパニー「ハウアス・ピクチャーズ」を設立。ハリウッドを代表する日本人映画人としてその名を轟かせる。
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