斎藤嘉隆の出身高校

斎藤嘉隆 議員

斎藤嘉隆卒業高校
菊里高校 偏差値 愛知県高校偏差値ランキング
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310位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1963年2月18日生まれ

斎藤 嘉隆(さいとう よしたか、1963年2月18日 - ) は、日本の政治家。民主党所属の参議院議員(1期)。

1963年、父喜彦、母恵子の長男として、名古屋市中村区で生まれる。幼少期は愛知県知多郡美浜町で過ごす。1969年、名古屋市立万場小学校に入学。1975年、名古屋市立はとり中学校に入学。1981年、 名古屋市立菊里高等学校を卒業し、愛知教育大学に入学。 硬式野球部に属し、愛知大学野球リーグ戦で、3年春・4年秋と 2度の首位打者を獲得している。 名古屋市の教員採用試験に合格後、1985年、名古屋市立村雲小学校に赴任。1991年より名古屋市立稲永小学校教諭。1994年には名古屋市単独若手教員海外研修の一員に選ばれ、オーストラリア現地校やシンガポール日本人学校などで研修を積む。2005年、名古屋市立新明小学校に赴任。1998年には名古屋市教育研究員として筑波大学附属小学校に内地留学。主に体育指導に関する研究を行い研究員論文として発表した。また長年にわたり、少年野球の指導者としても活動。 その後、愛知県教員組合執行委員、愛知県教員組合執行副委員長、愛知県教員組合執行委員長、連合愛知副会長、同政策委員会委員長、名古屋市教育委員会指導主事などを歴任。愛教組では教育政策、特に教育研究活動や高校入試改革などを担当。県の高校入試改革などの議論にも教育現場の代表として参画した。名古屋市教育委員会では教育センターの第1研究室長として、主に教職員の研修、名古屋市教委が実施する教員免許更新講習の担当などを務めた。 2009年、出身の愛教組や連合愛知などの要請を受け、参議院選挙愛知選挙区からの出馬を決意。同年に名古屋市役所を退職し、佐藤泰介の後継候補となる。2009年8月には連合愛知が参議院選挙候補として推薦を決定。民主党としての公認を待たずして地方連合が推薦する異例の経過をたどった。

2010年、第22回参議院議員通常選挙で750,723票を得て初当選。 当選直後の臨時国会で外交防衛委員会に所属し、9月に起きた尖閣諸島中国漁船衝突事件について党を代表して委員会での初質問。 その後、一貫して文教科学委員会に所属し、党の公約でもあった高等学校の授業料無償化の実現に尽力した。教育諸条件整備、子育て支援、大学改革、いじめ対策、通学安全、奨学金拡充、スポーツ振興など幅広く活動。 2011年、カンボジアで開催されたASEAN議員団会議に日本議員団団長として参加。日本を代表して演説を行い、東日本大震災後の復興への支援に対する感謝と地域経済連携の必要性について訴える。同国のノロドム・シハモニに謁見し、震災復興支援への謝辞を述べた。 2014年、教育委員会制度改革を含む地方教育行政法改正に党の政策担当としてかかわる。維新の中田宏らと野党案の修正協議を重ね、通常国会において自公案に対する対案を提出。 2012年、京都府亀岡市で起きた登校中に児童や保護者が死傷した事故を受け、党内に「通学安全議員連盟」を設立。文部科学省、国土交通省、警察庁などをまきこみ全国規模での危険個所調査を実施し、歩道整備などに着手。また、官邸に「通学安全確保に関する提言」を提出した。こうした取り組みにより翌2013年には登下校中の死亡事故が激減した。2012年臨時国会以降、毎国会、参議院に「通学安全確保法案」を野党共同提案で提出している。 2013年、参議院ODA調査団の一員として、ミャンマー、ブータン、スリランカを訪れる。ミャンマーではテイン・セイン大統領と会談。ブータンではジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王に謁見。 奨学金拡充による教育費負担軽減に熱心に取り組む。民主党政権下で、豪州での実例をもとに所得連動返済型奨学金導入を訴え制度化を実現した。その後も給付型奨学金の必要性を訴える。 民主党スポーツ振興議員連盟の事務局長として、2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致活動に取り組む。東京オリンピック・パラリンピック特別措置法の審議にあたり、党の代表として本会議で代表質問を行った。

⋆愛知県自転車競技連盟会長

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