川添象郎の出身高校

川添象郎

川添象郎 ミュージシャン

川添 象郎(かわぞえ しょうろう、1941年1月27日 - )は、日本の音楽プロデューサー。別名・川添象多郎。V3株式会社代表取締役。

父は東京、飯倉(現:港区麻布台)にあるイタリアンレストラン「キャンティ」を創業した川添浩史(本名・紫郎、旧姓・後藤。川添家の養子となる)、生母はピアニスト・原智恵子(浩史と離婚後、チェロ奏者ガスパール・カサドと再婚)。

祖父は鈴木経勲と共に日本で初めて南洋群島を探検した後藤猛太郎(日活の前身・日本活動フィルムの初代社長)。明治の元勲、後藤象二郎は曽祖父に当たる。

女優・加賀まりことは幼馴染。女優・風吹ジュンは元妻。風吹との間に1男1女。林真理子の小説『アッコちゃんの時代』の「アッコ」のモデルとなったのは4番目の元妻。(アッコとの間に出来た次男と思われるユーザーにより本項目の内容が「事実無根」として荒らしを受けた)。また、川添本人もなかにし礼の実名小説『世界は俺が回してる』に主人公・渡辺正文の親友として登場している。

慶應義塾幼稚舎を経て慶應義塾高等学校に学んだが、カトリックの信仰を持つ実母・原智恵子の意向でラ・サール高等学校に転校。ラ・サール在学中、1959年4月26日に母とガスパール・カサドの婚約が発表され、父により東京に呼び戻されて和光高等学校に転校。和光高校卒業後、すぐにマグナム・フォト写真家ルネ・ブリやデニス・ストック(英語版)等の来日時にアシスタントとして就く。

1959年、舞台芸術研究のために渡米し、ラスベガスで働く。1960年にはニューヨークに移り、フラメンコギタリストとして過ごす。またオフブロードウェイの前衛ポエトリーダンス『六人を乗せた馬車』(『フィネガンズ・ウェイク』の翻案)に参加し、作曲家の伊藤貞司(英語版)とともに楽器演奏を担当する。この作品で脚色と舞台監督を務めた振付師ジャン・アードマン(英語版)がオフブロードウェイの作品に与えられるオビー賞の特別引用賞を1963年に受賞した。この作品はその後もアメリカおよびヨーロッパ各地の舞台演劇祭などで上演され、1964年には、当時前衛芸術の拠点であった草月会館にて日本公演を行った。さらにこの時期にスペインに渡り、帰国後、フラメンコの舞踏団を結成した。

このような経験を基に、芝高輪・光輪閣代表として国際文化交流事業を行っていた父・川添浩史の活動に参加し、1961年シアトル万国博において「文楽」の初のアメリカ公演のステージマネージャーやミュージカル『ヘアー』来日公演のプロデューサーを務める。1970年2月、『ヘアー』の打ち上げで出演者と大麻パーティを開いて逮捕され、これにより『ヘアー』日本上演は途中で打ち切りとなる。この事件では執行猶予つきの有罪判決を受けた。執行猶予期間中にも大麻取締法違反で逮捕(2回目)され、懲役8ヶ月の実刑判決を受け、前橋刑務所で服役した。

その後、音楽プロデューサーとして、村井邦彦と共にアルファレコードを1977年に立ち上げ、荒井由実(松任谷由実)やYMOといった社会現象を巻き起こすようなビッグアーティスト達を世に送り、数多くのヒット曲を生み出した。

ファッション関連ではイヴ・サンローランの日本代表やピエール・カルダンのライセンス開発を手掛け、同時にその他の様々な分野でアーティストのマネージメントやプロモーション活動を行う。 特に日本人アーティストの海外への紹介には積極的で、YMOの世界公演を実現し、絵画芸術の分野では画家・今井俊満の海外プロモーション等の活動を行っている。

バブル景気期の1980年代半ばには、外国人エグゼクティブを相手にした家具リース業などにも手を染めていた。空間プロデューサーとしても活動していた。1992年、川添が空間プロデュースをした後楽園のビアガーデンのオープンパーティーに尾崎豊は青山学院高等部時代に知り合った友人たちと参加し、一緒に二次会で芝浦の「Oバー」に行った。尾崎はその翌日に死去している。1981年に風吹ジュンと結婚するも1992年に自身の不倫が原因で離婚。川添にとっては3度目の離婚であった。1982年11月に大麻取締法違反で逮捕(3回目)。さらに自宅から覚醒剤を染み込ませた米ドル札が発見されたため、覚せい剤取締法違反で再逮捕された。その後、「地上げの帝王」こと早坂太吉(最上興産社長)の愛人だった小山明子と再婚し男児をもうける。その後も荻野目慶子との不倫を報じられ、まもなく妻と別居。

1997年12月には自社の元社員に手錠をはめ、縄で縛るなどして社長室内に20時間監禁し、「お前のせいで4800万円損したんだ。3000万円に負けてやるから、きっちり払え」「この野郎、殺してやろうか。俺たちはセメントだって用意してるんだぞ」「わからねえなら、指詰めさせてやろうか」などと脅し、顔面をエアガンで撃った他、全身を木刀で殴打して全治2ヶ月の重傷を負わせた監禁暴行の容疑で全国指名手配され、逮捕後、1998年3月に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受けている。この執行猶予期間中、1999年7月下旬、東京都千代田区の路上で、覚醒剤数グラムを車内に所持していたところを職務質問で発見されて覚せい剤取締法違反(使用・所持)現行犯で逮捕(覚醒剤2回目)。起訴され、1999年10月、懲役1年6月の実刑判決を言い渡された。2007年に整体師の女性と再婚。

その後も、再びプロデュース業に復帰し、川添がプロデューサーを務めた2008年リリースの青山テルマ feat.SoulJa「そばにいるね」 は、日本で最も売れたダウンロードシングルとして、ギネス・ワールド・レコーズに認定された。

2013年6月下旬に東京都港区内のコンビニ店で万引をしたとして、窃盗で逮捕された際に、言動に不自然な点があったため、尿検査を実施した所、覚せい剤の陽性反応が出たため覚せい剤取締法違反で再逮捕された。(覚せい剤3回目)

保釈中、2013年10月、9月15日に都内港区のホテルで乾燥大麻1.7グラムを所持していたとして大麻取締法違反容疑で逮捕された(大麻4回目)。なお、ブログで“大麻は酒・タバコに比べて身体的依存性もなく害が低い”という趣旨の発言をしている。覚せい剤取締法違反ならびに大麻取締法違反の罪で起訴され、2014年1月8日、東京地裁で懲役2年(求刑懲役3年)の実刑判決が言い渡された。 なお、川添が収監される直前まで代表取締役兼パトロンを務めていたV3株式会社は子飼いの元アルファレコード社員らで構成された音楽レーベルであり、代表的な所属アーティストは薬物で前科三犯の岡村靖幸であり、その岡村が前述された川添と死去する直前まで一緒だった尾崎豊と親友だったというのも皮肉な話である。

他にガロ、小坂忠、吉田美奈子、ブレッド&バター、スネークマンショー、サーカス、雪村いづみ、朝比奈マリア、いしだあゆみ、伊東ゆかり、ダニエル・ビダル、ルネ・シマール、N.Y.オールスターズ(フュージョン)、セルジオ・メンデス、ピア・ザドラ、日野皓正、リタ・クーリッジ、ジョージ・ウィンストンなど多数。

川添象郎の出身高校

川添象郎出身高校
ラ・サール高校 偏差値 鹿児島県高校偏差値ランキング
ミュージシャンランキング
9位 / 828人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1941年1月27日生まれ

川添象郎の関連人物

ミュージシャン偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す


ミュージシャン一覧

ミュージシャン偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州/沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング