宮川彬良の出身高校

宮川彬良 ミュージシャン

宮川彬良卒業高校
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804位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1961年2月18日生まれ

宮川 彬良(みやがわ あきら、1961年2月18日 - )は、日本の作曲家・ピアニスト。本名は宮川 晶(読み同じ)。東京都出身。父は作曲家の宮川泰。妻はバイオリニストの宮川由利子。

和光高等学校卒業。東京芸術大学音楽学部作曲科中退。大阪芸術大学音楽学科元客員教授。

ジャパンアクションクラブ (JAC)、宝塚歌劇団、劇団四季など、多くのミュージカル音楽や、東京ディズニーランドのショー音楽なども手掛けている。2004年には松平健の歌う『マツケンサンバII』が大ヒットし、第55回NHK紅白歌合戦で歌われた。また本人もコンサートCDを複数発売している。また、日本放送協会(NHK)やJ-WAVEなどのラジオ番組にも出演し、主としてクラシック音楽を中心とした音楽の普及に努めている。

宮川は、関西地区、特に宝塚周辺において、地域に密着した音楽活動も積極的に行っている。1995年からは大阪フィルハーモニー交響楽団のポップス・コンサートの音楽監督を担当、1996年にはその活動に対してABC国際音楽賞が贈られた他、後述のアンサンブル・ベガを率いて頻繁に演奏会を行っている。また、浜松海の星高等学校吹奏楽部、宝塚市立宝梅中学校吹奏楽部と共に自作の初演を行うなど、その活動の多彩さ、柔軟さには目を見張るものがある。

1997年のなみはや国体で用いられた楽曲「メドレーマーチ“Oh!Namihaya”」「グランドオペラなみはやの夢」を手掛けたことから、大阪市音楽団(現・Osaka Shion Wind Orchestra)と交流があり、2007年には、大阪市音楽団を指揮し、特別演奏会を公演、吹奏楽で初めてのCD「ブラスバンド・バラエティ 宮川彬良&大阪市音楽団」(ライブ版)をリリースする。このライブで、父親の宮川泰の曲(『宇宙戦艦ヤマト』、『ズームイン!!朝!』、『ゲバゲバ90分』等)を吹奏楽版に編曲するという親子のコラボレーションと「マツケンサンバ」の作曲家が吹奏楽と共演することが話題を呼んだ。

三児の父親である。

父親の代表作であり、自身のデビュー作でもある『宇宙戦艦ヤマトシリーズ』には高校生時代から関わっている。

高校生の時、宮川泰作曲・編曲による『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集‎』の「白色彗星」を志村拓生の名前でパイプオルガン演奏している(1978.6.22 武蔵野音楽大学ベートーベンホール)。その際、巧く演奏する事が出来ずテイクが36回に及んだと語っている。元々、武蔵野音楽大学の教授から演奏を断られたため、オルガンを弾けるという理由で白羽の矢が当たった形だったが、当時彬良氏が弾いていたのはロックのオルガンであり、パイプオルガンは弾いたことがなかったと語っている。

『ヤマトよ永遠に』において、とあるシーンのBGMを数曲作曲する。長めのものを1曲と短めのものを2、3曲を作ったが、長めの曲はプロデューサーの西崎義展に「ヤマトの曲じゃない」とされ未採用となり、採用されたのは短めの曲の方だった。なお、父がポップス寄りだったのに対し当時の彬良氏はクラシック寄りだったとのことであり、未採用に終わった曲は、録音に立ち会っていた西崎義展が、彬良氏の作曲と知らないはずにもかかわらず演奏が始まった途端「宮川(秦)さん、どうかしたのかと思った」とつぶやくほどそれまでの曲とかけ離れたものであり、後でテープで聞きなおしてみて自身も「これは父には書けない曲だ」と思ったと後年に述懐している。これ以降、何曲かを父から任されるようになり、『宇宙戦艦ヤマトIII』では「第18機甲師団」や「バーナード星の戦闘」、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』では「大ディンギル帝国星」などを作曲した。当人曰く「大ディンギル帝国星」は今でも自信作とのこと。

『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』では作曲の依頼を受けていたが、第一作への思い入れから「復活篇はないだろう」と感じたことや、新作制作のたびに父の苦労していたことを知っていたため自信がなかったことなどの理由により断っていた。しかし、『永遠に』等で未採用に終わった曲の内の何曲かが劇中で使用されている。

『宇宙戦艦ヤマト2199』についても当初は断ろうと思っていたが、第一作目のリメイク作品であることを聞き、「最初のヤマトをやりたい」というスタッフの意向に賛同し、依頼を快諾した。なお、旧作用BGMのマスターテープは劣化して使えず、譜面も現存していないため、彬良は耳コピーで本作用の楽譜を2か月かけて起こしたという。

1998年に、阪神大震災からの心の復興を目的として結成。演奏会の常連からは「アン・ベガ」と呼ばれ親しまれている。宮川彬良と東西のオーケストラの首席奏者8名から成り、演奏会における曲の作曲・編曲、ピアノ、司会を宮川彬良が担当している。結成以後から徐々に、演奏会の親しみやすさや、「8人なのにオーケストラの音がする」などと形容される演奏者のクオリティが話題になり始める。本拠が、宝塚市立文化施設ベガ・ホールという狭小な市民ホールであるのにも関わらず、次第にその活動地域を広げ、2003年からはNHK教育テレビで放映中の音楽教養番組『クインテット』の演奏も担当、2007年には、初の東京公演を行う。演奏会は前記のベガ・ホールのほか、兵庫県立芸術文化センターにおいてその多くが行われる。2005年に、坂井時忠音楽賞を受賞している。

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