宮國椋丞の出身高校

宮國椋丞 プロ野球選手

宮國椋丞卒業高校
糸満高校 偏差値 沖縄県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
4207位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1992年(平成4年)4月17日生まれ

宮國 椋丞(みやぐに りょうすけ、1992年(平成4年)4月17日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。沖縄県糸満市出身(出生地は石川県金沢市)。

「國」の字が旧字体であるため、メディアによって宮国椋丞の表記も見られる。

石川県金沢市生まれ。兄の影響で小学一年生で野球を始める。高嶺中学校時代は軟式野球部に所属。

糸満高校では沖縄県1年生大会決勝で興南高校に投げ勝ち、7年ぶりの優勝に貢献。2年春からエースとして活躍し、3年夏には県大会決勝に進むも島袋洋奨投手を擁する興南高校に敗れた。

2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから2位指名を受け入団した。背番号は、かつて江川卓が使用していた「30」となった。

2011年はイースタン・リーグで4試合に登板し、19イニングを投げて自責点0だった。シーズン後は宮崎秋季キャンプに参加し、川口和久投手総合コーチから高評価を得た。

2012年は春季キャンプから一軍に帯同。3月25日に行われたオークランド・アスレチックスとの親善試合では先発して5回9奪三振1失点で、開幕ローテーション入り。4月8日の阪神戦で一軍公式戦初登板。先発して7回を1失点に抑え、巨人では槙原寛己以来29年ぶりとなる初登板初勝利を挙げた。5月1日の広島戦ではプロ初完投・初完封勝利を記録。高卒2年目での完封は巨人では桑田真澄以来となった。しかし、5月16日のオリックス・バファローズ戦で右肩に違和感を覚え、翌日に登録抹消。二軍での調整を経て7月15日に一軍復帰。8月5日のDeNA戦で3ヶ月ぶりの勝利を挙げると、レギュラーシーズン終了まで先発ローテーションの一角を担った。ポストシーズンは2試合に登板し、中日とのCSファイナルステージ第3戦に先発して5回3失点。日本ハムとの日本シリーズでは第4戦に先発し7回3安打無失点。いずれも勝敗はつかなかった。アジアシリーズでは決勝のラミゴ戦に先発。6回1失点で勝利投手となった。

2013年はWBCに出場したエース内海哲也の代役として開幕投手を務めた。20歳での開幕投手は1988年の桑田真澄以来だったが、7回途中3失点で勝ち星はつかず。7月25日の広島戦で2回途中8失点でノックアウトされるなど、打たれ出すと止まらなくなるピッチングが目立つようになり、シーズンを通じてスランプに陥り、このシーズンは三度に渡り二軍降格を命じられた。10月3日に右下腿内側痛が判明し、ポストシーズンの出場が絶望となった。CSには出場せず、日本シリーズの40人枠からも外れた。

2014年は、オープン戦から不調が続き、開幕一軍から外れる。4月と8月に1度ずついずれも横浜ベイスターズ戦に先発するも2試合とも4回持たずKOされ、即二軍降格された。10月6日、広島戦で先発し7回1失点と好投、前田健太に投げ勝ちチームの最終戦でようやく初白星を挙げた。

2015年は、先発から中継ぎに転向し、新人の戸根千明とともに、主に点差の付いた試合やマシソン、山口鉄也に繋げる役割を果たし中継ぎの一角として活躍。39試合に登板した。

ナチュラルに変化する、最速150km/hのストレートに加え、スライダー、スローカーブ、フォークボールが持ち球。加えて2012年シーズン中にツーシームを習得した。

ワインドアップから長い手足を活かして投じるスリークォーターのフォームで、打たせて取る投球スタイル。高校時代から肘のしなりや低めへの制球力に定評があり、牽制、クイック、フィールディングなど、マウンドさばきも巧み。首脳陣からの評価は高く、将来のエース候補と期待されている。

マウンドでは堂々とした投球を見せる一方で、インタビューや囲み取材は苦手とするなどシャイな一面がある。以前は偏食家で野菜や果物はほとんど食べなかったが、球速アップを目指して2012年から食生活の改善に取り組んでいる。

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