宮台真司の出身高校

宮台真司 学者

宮台真司卒業高校
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性別
男性
生年月日
1959年3月3日生まれ

宮台 真司(みやだい しんじ、1959年3月3日 - )は、日本の社会学者。学位は社会学博士(東京大学・1990年)。首都大学東京教授。宮城県仙台市出身。

1959年、宮城県仙台市に生まれる。父親の転勤にともない、小学生時代の大部分を埼玉県入間市と京都府京都市で、小学6年生の秋から大学生時代を東京都三鷹市と神奈川県大和市で過ごす。小学生時代、六回転校を経験した。

1971年、学園紛争で荒廃していた麻布学園(麻布中学校・高等学校)に進学。このころから、好んで哲学や思想の本を読むようになる。また、そのころから革命家を目指し、その方法として最も効率的なのは映画だと考え、年間300本以上映画を見たという。理系から文転した際、父親に「法律家になるのか」と聞かれ「映画監督になる」と答えたら頭を叩かれるという出来事があり、「じゃあもういいや」と考え、高校3年で学業を放棄した。1977年、麻布高校卒業。同年 駿台予備学校入校。一浪後の1978年、東京大学教養学部文科III類に進学。廣松渉・小室直樹・見田宗介・吉田民人等に師事した。1980年東京大学文学部社会学科進学、1982年東京大学大学院社会学研究科入学。1984年、同大学院修士課程修了。1987年、同大学院博士後期課程修了。博士論文は『権力の予期理論』。権力関係を数理的(数理社会学)に分析する論文で戦後5人目の東大社会学博士学位を取得。「権力の予期理論」というタイトルで出版もされた。複雑な図式が網羅されているが「社会成立のため、権力は必要」というシンプルな結論である。

同1987年、東京大学教養学部助手。1991年東京外国語大学専任講師。1993年、東京都立大学人文学部社会学科助教授。1993年から援助交際、オウム真理教などを論じてメディアで注目され、一躍論壇の主役に躍り出た。

1999年から、神保哲生が代表を務めるインターネット放送局ビデオニュース・ドットコムで、神保とともに『マル激トーク・オン・ディマンド』のホストを務めている。

2005年、首都大学東京都市教養学部都市教養学科准教授。2007年、首都大学東京都市教養学部都市教養学科教授に就任。

門下生に鈴木謙介・西田亮介・鈴木弘輝らがいる。

1990年代はリベラルを名乗っていたが、2000年代になると天皇主義に基づく思想を展開する。「解放的関心の強烈な〈左〉と、条理によって条理の限界を見極める〈右〉は、論理的に両立可能」と主張する。

誤った右翼思想をもつと自らが定義した政治家に特に厳しく、「政府に逆らう者は反日分子」と発言した柏村武昭に対し、このような発言をする政治家を取り除くことが真の右翼であるとした。また小池百合子を米国に何も条件をつけずにテロ対策特別措置法を延長したという理由で売国政治家とした。他方、上げ潮派、新自由主義者を名乗っている。小泉内閣に関しては、その中期までは非常に好意的であり、メディアでも度々称賛してきた。ただし2006年頃から竹中平蔵の主導した市場原理主義を厳しく批判している。

日本国憲法については改憲論者である。 憲法改正をして、重武装化&対米中立であるべきであるとする。ここでの重武装とは対地反撃能力を中核とする抑止力としての反撃能力のことである。具体的には航続距離の長い爆撃機や長距離ミサイルを持つことで、激しい地上戦に持ち込まれないためにこそ重武装化すべきであると主張する。 「重武装化&対米中立」化のためには

などの障害を克服する必要があると主張する。 また、押し付け憲法論は誤りだと主張する。

徴兵制について、韓国で施行されている徴兵制に対して好意を寄せている。安藤美冬との対談において、宮台の教え子であるイ・ヒョンソクの「社会化→脱社会化→再社会化」という言葉を引用した上で、徴兵制を評価し、日本でも「ネット上で「許さん!」と噴き上がる」人間に対する「処方箋」として徴兵制を導入するのは有効ではないかという趣旨の発言をしている。宮台は、日本に徴兵制を導入するのは現実的に不可能であるとするが、徴兵制があると自分が、あるいは自分の子どもが、戦地に送られる可能性があるので、シビリアンコントロール(文民統制)のあり方をちゃんとチェックしよう、そのためにちゃんとした政治家を選ぼうという意欲が非常に強くなる。それが政治参加意欲の大きな原動力になると主張する。

自身に傾倒して自殺したファンの手記を読み、ショックで寝込んでしまったことがある。浅田彰はこの件について「僕ならそんな奴放っておいて、とっとと逃げる。ラディカルなことは、そうしないと言えない」と述べており、言論人の倫理について問いを投げた。

アントニオ・グラムシの影響で、映画によって革命を起こすべく映画作家を目指し、それに役立つと考えて社会学を学んだ。大学に入学してすぐに映画部に入り、映画ばかり撮って勉強をしなかったという。廣松渉、若松孝二、足立正生を尊敬している。

映画監督の園子温とは個人的にも親交があり、「紀子の食卓」(2006年)を非常に高く評価している。また「愛のむきだし」(2008年)には、新興宗教の指導者のひとりとして出演している。「ヒミズ」(2012年)では、テレビの中で東日本大震災について語る知識人という役で出演している。「ラブ&ピース」(2015年6月27日、アスミック・エース)では、討論番組での知識人のひとりとして出演している。

性風俗、セクシュアリティ、自身の性体験などについても活発に研究・発言している。売春合法化論者。援助交際を専門的に調べるきっかけは、当時付き合っていた女子高生が援助交際をやっていたからだと言う。過去にテレクラにハマっていた時期があったが、母親に50枚の会員証が見つかり、すべて捨てられている。なお、その後も続けていた。

最初に自慰をしたのは小学3年生あたりで、対象にした漫画のキャラクターは、『サイボーグ009』に登場するフランソワーズ・アルヌール。この時の妄想は、自分自身がフランソワーズになりきって拷問されるというシチュエーションだという。

中学高校時代、空手道部に所属していた新入部員のときに、 先輩から愛撫の仕方などを学んだとして次のように自著で書いている 。「先輩に全身なめられて、 『宮台君はアドレナリンの匂いがするね。感じてるよ。チンチン勃ってるじゃないか』」と、全身を愛撫されたあと、言われたという。また、中学時代には、中央線でよく男の痴漢にあったとして、「触ってくるのが 男でも、あの年代はすぐに変な気分になってチンチンが勃ちます(笑)。 しかも男が男に触られてるんだと恥ずかしくて、女の子みたいに 『この人痴漢です!』って言えないじゃないですか。だから触られ放題で、ずいぶん感じさせられました」と自身の体験について発言している。

最初に結婚したのは、イタズラ好きな友人からもらった、水を垂らすだけで陽性反応と同じサインを示すエイズ検査のダミーキットを、それとは知らずに、当時交際していた女性と自分の唾液を混ぜて使ったところが、エイズの陽性反応が出たと思い込んだことがきっかけであるが、その後にテレクラ問題の報道などが要因となり離婚に至る。現在の伴侶は東京大学名誉教授佐伯胖の娘であるが、過去に佐伯の教育論を大批判しており、結婚を決めた女性がその佐伯の娘であるとは知らず、両親に挨拶するのに困ったという。なお、結婚に反対しなかったのは佐伯だけで、結婚の際に言われたのは「うちはカトリックですよ、離婚は出来ませんよ」の一言だけだという。

当初は小林よしのりを罵倒していたが、後に小林とは「共闘関係が可能」と称するまでになり、小林の著作「沖縄論」に関しては「大変面白かった」と評し、「私も沖縄を左翼や似非保守から奪還する計画だ」と同調するまでになった。その関係の変遷について宮台本人は、「私や小林氏のどちらかが変わったのではなく、小林氏の主張が時代を経て純化し、夾雑物が削ぎ落とされ(つまりここでは「つくる会」的な物を意味しますが)、優先順位がはっきりしてきたためだ。」と説明した。

PHP研究所の雑誌「Voice」2007年9月号の石原慎太郎東京都知事との対談で「ポピュリズムと揶揄されるものとは別次元の感染力であり、都知事選ではメディア効果も手伝って人の凄さの違いが際立つのを実感した」と発言した。ほか、主に教育については考え方に一致点が多い。また石原は「首都大学に面白い社会学者が居る」として一目置いている。

浅田彰に対して、宮台は天才を認めつつもあまり高く評価していない。浅田は臆病なスタイリストと書籍に書いている。浅田は宮台に対して、「『終わりのない日常を生きろ』か、『終わりなき日常を生きよ』のどちらかにしてもらいたい」と批判した。

政治学者の姜尚中は「宮台さんこそ、現代における丸山眞男のもっとも卓越した後継者」と評価している。

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