大崎雄太朗の出身高校

大崎雄太朗 プロ野球選手

大崎雄太朗卒業高校
常総学院高校 偏差値 茨城県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
716位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1984年10月18日生まれ

大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「チャキ」。

東京都昭島市生まれ。茨城県稲敷郡茎崎町出身(現つくば市)。8歳から地元の名門茎崎ファイターズで野球を始める。以前から始めていた柔道を10歳まで両立していた。中学からは竜ヶ崎リトルシニアに所属。同学年に神戸拓光(ロッテ)がいる。中学3年時、陸上走り幅跳びで茨城県総体2位に入る。

常総学院高校に入学し、1年春から1番二塁手のレギュラーを獲得(2年夏より外野手転向)。同学年には、後に青山学院大学でもともにプレーする横川史学(楽天→巨人)、1学年下に坂克彦(近鉄→楽天→阪神)がいる。2年生時の春の選抜甲子園大会の優勝、2年夏ベスト32、3年夏ベスト16、3度の甲子園を経験。1年秋の新チーム結成時から2年夏の甲子園2回戦まで6敗しかしていない(練習試合も含む)。2年夏の選手権大会茨城県予選準決勝では9回1アウトから起死回生の同点ホームラン、3年夏はノーシードから勝ち上がった選手権大会の茨城県予選決勝では、水戸商の長峰昌司(中日→オリックス)から劇的な決勝3ランを放つ。

高校通算22本塁打、甲子園通算11試合出場33打数10安打打率.303。

東都大学野球連盟の名門である青山学院大学に進学し、1年春からレギュラーを獲得。2年からは不動の1番打者に定着した。3年春季リーグ戦からは円谷英俊、高市俊、横川史学などとともに、リーグ3連覇を達成する(3年春秋4年春)。最終学年はヒットが出ずに苦しんだものの、通算100安打(史上13人目)を達成。3年時に全日本大学選手権で優勝、そして4試合17打数11安打の大会タイとなる安打数で(6割4分7厘)首位打者を獲得、3年秋リーグ戦でベストナインを獲得した。

リーグ戦通算94試合出場、355打数100安打、打率.282、10本塁打、40打点。全国大会通算11試合46打数20安打、打率.438、3本塁打。2005年日米大学野球日本代表、全日本大学選手権優勝2006年全日本大学選手権準優勝。

2006年大学・社会人ドラフトで埼玉西武ライオンズから6巡目で指名される。同年のドラフトでは大﨑のほか、横川史学(楽天→巨人)、円谷英俊(巨人)、高市俊(ヤクルト)が指名を受ける。青山学院大学硬式野球部から同時に4名指名されたのは10年ぶり2回目。後に2008年に楠城祐介(楽天→ヤクルト)が指名され青学大同級生5人がプロ野球選手となった。

2007年は二軍で主力選手として起用され、打率.274、3本塁打、5盗塁の成績だった。シーズン終盤に若手起用の方針から一軍に初昇格し、5試合で1番・右翼手のスタメン出場を経験した。

2008年は二軍でイースタン・リーグ4位の打率.311、5本塁打、13盗塁と打撃面で成長した。(二軍の優秀選手を受賞)

2009年、開幕前のWBC日本代表との強化試合で岩隈久志からホームランを放ち、その後も韓国戦4安打、台湾戦3安打、中国戦2安打と4試合10安打と打ちまくったが、その後のオープン戦には出場機会に恵まれず開幕一軍入りは逃したが、5月上旬に一軍に昇格すると5月31日の読売ジャイアンツ戦で10回裏マーク・クルーンからサヨナラ安打を放ち、プロ初打点が初サヨナラ打となった。6月10日の阪神タイガース戦では9回裏にジェフ・ウィリアムスから代打でサヨナラ押し出し四球を選び、プロ2打点目もサヨナラとなった。この年は75試合に出場し打率.275を記録。

2010年4月20日、9年間交際していた一般人の女性と結婚することが発表された。シーズン中はプロ初本塁打を放つなど4月下旬から5月まで活躍していたが、たびたびあった走塁や守備のミスにより6月上旬に抹消された。この年は高山久の一軍定着などがあったため、その後の出場機会はなかった。二軍では打撃は好調でシーズンを通して3割をキープした。内野手の怪我人が多かったため二塁を主に守った。

2011年は7月に長男が誕生。8月19日に満を持して一軍に昇格すると初先発で3安打を記録。その後も高い打撃センスの片鱗を見せ、主に代打としてシーズン終了まで一軍に定着。打席数は少ないが3割を超える打率を残した。代打成績10打数4安打.400を記録。 クライマックスシリーズでは右足小指と薬指を10月17日に死球で骨折しながらも強行出場し、ダルビッシュ有からヒットを放つなど5試合11打数3安打2打点の成績を残した。

2012年は自身初の開幕一軍入りを果たし、6月からレギュラーに定着し、自己最多の107試合に出場した。6月は打撃が好調で、月間打率は.375だった。クライマックスシリーズでは3試合全てに先発出場し、全てでヒットを放つ。3試合9打数3安打2打点。

2013年は、自身二度目の開幕一軍入りを果たしたが、4月2日に出場1打席で二軍へ抹消される。4月27日に再び一軍へ昇格すると同29日対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で満塁から代打で出場し高堀和也から2点タイムリーヒットを放ち、この試合のヒーローになった。5月11日の対福岡ソフトバンクホークス戦で8回裏に代打でヒットを放つと、9回表に公式戦自身初の二塁を守った。翌12日には自身初の4番ライトで出場し、4打数2安打2打点と活躍した。交流戦では、出場23試合51打数17安打を放ち規定打席には届かなかったが、打率.333を記録。8月17日の楽天戦では、9回2死1.2塁から代打で出場し左腕金刃からライト前へサヨナラヒットを放った。サヨナラ安打は自身三度目。(サヨナラ四球含む)9月10日に一軍登録を抹消され、シーズン中に再昇格はできなかった。主に代打や右腕のスタメンとして84試合の出場し打率.250を記録した。

2014年は、3年連続で開幕一軍入りを果たす。4月17日の千葉ロッテマリーンズ戦で南昌輝から自身初の代打ソロ本塁打を放つ。3.4月は少ないチャンスを生かし14安打.318を記録。5月に入ると開幕からの低迷とチーム内の怪我の続出から内野での機会が増加。5月3日の対ロッテ戦では自身初の一塁手として先発出場。5月15日の対北海道日本ハムファイターズ戦では自身初の三塁手として出場。3度の守備機会も無難にこなした。5月20日、交流戦過去9年間150打席以上の現役選手の中で通算打率.352は12球団1位を記録。 7月27日新人の森友哉のデビューに伴い一軍の出場登録を抹消された。 2014年は得点圏での代打が主な仕事でパリーグ屈指の代打成績であった。前半戦のみの出場であったが、出場51試合打率.248ながら代打での成績は32試合29打数9安打4打点.321を記録。

2015年は春季キャンプから二軍スタートで、オープン戦にも一軍に呼ばれる事なく二軍で開幕を迎える。5月7日に一軍へ出場登録され5月9日に代打で初ヒットを放ち、5月12日対日本ハム戦で初スタメンを迎えると一打席目にライトへ決勝点となるホームランを放つ。交流戦が終わると代打の出場機会がなく6月11日対広島戦で代打でライト前ヒットを放ったのを最後に出場登録から外れた。8月7日、球団史上最低の13連敗を喫すると再び一軍へ再昇格。主に代打での出場を増やし、終盤の8月29日楽天戦から代打4打席連続ヒット3打席連続打点を記録した。9月2日対ソフトバンク戦では8回裏1対2のビハインドで迎えた2アウト1.2塁で代打で出場し五十嵐からライト前同点タイムリーを放つ。9月4日対ロッテ戦1対1延長10回表2アウト2塁で代打出場し益田から左中間へ決勝タイムリー二塁打を放つ。9月6日対ロッテ戦も益田から追加点となる代打でのタイムリーヒットを放った。この活躍を期にシーズン最後まで主に終盤での代打出場が主戦場となった。 2015年シーズン打率.219と低いが、代打は47試合中31試合出場。26打数8安打5打点。.308を記録。二年連続で30試合以上の代打出場で3割を記録した。自身最高の得点圏打率.318を記録している。

弟が2人おり、次男大二朗は東京ガスで2012年までチームの主軸(2011年は主に3番ライト)としてプレーしていた。2011年東京都社会人ベストナイン獲得。2011年関東選抜リーグ優秀選手賞。常総学院時代は2003年の夏の甲子園優勝時のメンバー(捕手)である。AAA日本代表メンバー。2012年現役引退。

また、三男健吾も2012年の夏の甲子園に常総学院の1番打者として出場し、3兄弟で同じ常総学院から揃って甲子園スタメン出場。3人とも安打を記録している。2015年に行われた第64回全日本大学野球選手権大会に流通経済大学として出場し準優勝した。3番ライトで全試合に出場し大会打率.562を記録。決勝の早稲田大学戦では4安打を放った。

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