塩谷司の出身高校

塩谷司 プロサッカー選手

塩谷司卒業高校
徳島商業高校 偏差値 徳島県高校偏差値ランキング
プロサッカー選手ランキング
634位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1988年12月5日生まれ

塩谷 司(しおたに つかさ、1988年12月5日 - )は、徳島県小松島市出身 のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはディフェンダー。

小学生時代は南小松島FCと大松SCに所属。中学生年代は大塚FCジュニアユース(現徳島ヴォルティスジュニアユース)に所属、当時の2歳下に石川雅博がいる。当時から全く無名だった。

2004年、徳島県立徳島商業高等学校に進学、高1および高2のとき選手権(第83回・第84回)にミッドフィルダーとして出場している。この選手権での活躍により国士舘大学からスポーツ特待生としてスカウトされる。

2007年、国士舘大学へ進学 し、国士大サッカー部に所属する。同期に新井章太や大竹隆人。なお、後に広島でチームメイトとなる柴崎晃誠は4学年、 柏好文は1学年上の先輩にあたる。主にボランチや左サイドのMFとしてプレーしていたものの、レギュラーを掴むに至らなかった。2009年大学3年時、父親が急死、退学し就職を考えていたが細田三二国士大監督に説得され思いとどまる。2010年大学4年時に、柱谷哲二が国士大コーチに就任したことが転機となる。この年、柱谷によりセンターバックにコンバートされ鍛えられ、レギュラーを獲得した。大学卒業の際にはJリーグクラブからオファーがなく、唯一JFL・SAGAWA SHIGA FCが声をかけたぐらいだった。

2011年、柱谷がJリーグ・水戸ホーリーホック監督に就任すると、宙ぶらりんの状況だった塩谷を水戸に誘った。水戸は前年まで主力だった選手が大量に移籍退団したことから大学出身の新入団選手を大量に獲得しており、ロメロ・フランク、小澤司、鈴木将也、代健司、飯田優二、金久保彩、神村奨、小幡純平、笠原昂史が同期入団となった。またDFも大和田真史や作田裕次ら主力が軒並み退団し、DFライン再編を余儀なくされた状況だった。その中で塩谷はレギュラーに抜擢され開幕戦からスタメン出場を果たし、シーズン中にはDFラインのリーダーになるほど成長した。北関東ダービーでは3試合でゴールを決めており「ダービー男」と呼ばれた。同年末の天皇杯ではガンバ大阪と対戦し、水戸の対J1勢初勝利に貢献した。2012年シーズンも引き続き水戸で中心選手として活躍した。同年、この活躍によりJ1勢の大宮アルディージャ・清水エスパルス・サンフレッチェ広島から獲得オファーが届いた。

2012年8月広島へ完全移籍した(移籍金非公開)。これは、柱谷と広島監督森保一がドーハの悲劇時のオフトジャパンメンバーで、柱谷が広島を推薦したことにより決まった。移籍当初は、森脇良太のバックアップとしてリーグ戦3試合の出場にとどまったが、2013年、森脇が移籍退団すると3バックの一角としてレギュラーとなりその穴を埋める以上の活躍を見せ、千葉和彦・水本裕貴と共にリーグ戦全34試合に出場しチームの連覇に貢献した。

翌2014年には攻撃参加の精度に成長が見られ、第6節の名古屋グランパス戦までに4ゴールを挙げた。この活躍によりアルベルト・ザッケローニ日本代表監督の目に止まり、5月の日本代表キャンプに呼ばれたものの、この時点でのAキャップ出場はならず2014 FIFAワールドカップにも選出されなかった。その後10月10日のキリンチャレンジカップ・ジャマイカ戦で日本代表デビューを果たした。最終的にリーグ戦で6ゴールを記録し、ベストイレブンに選出された。オフにはFC東京から獲得のオファーがあった が、「広島からワールドカップに出る」と塩谷自らクラブに5年契約を求め契約を更新した。

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