坂田おさむの出身高校

坂田おさむ ミュージシャン

坂田おさむ卒業高校
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生年月日
1952年12月10日生まれ

坂田 おさむ(さかた おさむ、1952年12月10日 - )は、日本のシンガーソングライター。本名、坂田 栄一(さかた えいいち)。北海道旭川市出身。北海道札幌北高等学校、明治大学政治経済学部卒業。作詞・作曲活動では主に「坂田修」の名を用いている。白鳳女子短期大学の客員教授も勤めている。

1975年、フォークロックバンド「宿屋の飯盛」のメンバーとしてデビュー。同年にアルバム「飛んでみたのさ」をリリース。

1977年、坂田修として「BYE BYE東京」を発表し、ソロシンガーとしてデビュー。 1982年にはなぎら健壱と「フォークマン・ブラザーズ」というユニットで活動していた。

1984年、作詞家の遠藤幸三の紹介で、当時の番組プロデューサーに曲を持ち込みに行った事をきっかけに楽曲提供を勧められ、娘のイメージから作詞・作曲した「はるのかぜ」がNHKの幼児向けテレビ番組『おかあさんといっしょ』に採用された。半年後、再度自分の曲を売り込みに訪れた際にその『おかあさんといっしょ』のうたのおにいさん選考オーディションへの参加をスタッフに勧められて参加し、合格、1985年4月、7代目「うたのおにいさん」になった。1993年3月まで出演し、8年間「うたのおにいさん」として親しまれた。これは、歴代のうたのおにいさんのなかでは2015年現在最長記録で、さらに32歳(1985年4月当時の年齢)での就任は歴代のうたのおにいさん就任時の年齢で最年長である。更に、うたのおねえさんとして1987年に登場した神崎ゆう子とは番組卒業までの6年間ペアを組んだが、これは後任の速水けんたろうと茂森あゆみと並んで歴代2位の長さ(現在は現役で出演している横山だいすけと三谷たくみが最長)。

うたのおにいさんになった当初はダンスがあまり得意ではなかったため、「ホ!ホ!ホ!」の振り付けで先にどちらの手を挙げるか分からなくなった際にうたのおねえさんだった森みゆきが先にどちらの手を挙げたかで判断して踊っていた。また、森から「子どもたちと一緒に楽しく歌うのが一番」と声をかけられて心が軽くなったとも後年語っている。

同番組降板以降も子供番組を中心にTV出演しており、コンサート、舞台などで幅広く活躍。特に、『おかあさんといっしょ』の人形劇を冠したイベントツアーには、開始当初から参加しており、60代になった現在もうたのおにいさんとして親しまれている。また、夏休みや冬休みの特別編成版の『おかあさんといっしょ』にもゲストとして出演することがある。

うたのおにいさんになるきっかけとなった曲「はるのかぜ」をはじめ、『おかあさんといっしょ』のうたのおにいさん時代から現在まで「坂田修」の名(2010年ごろからは、歌手活動と同じく坂田おさむ名義)で子供番組を中心に多数の曲を提供しており、1986年以降のおかあさんといっしょの今月の歌に限定しても2015年11月時点で26曲(作詞のみ、作曲のみの楽曲を含む)と、同コーナーの最多楽曲提供者となっており、今も番組内外で歌い継がれるスタンダード曲となったものもあるほか、小学校用の音楽教科書に採用された曲もある。

1997年には朝日放送(ABC)制作のテレビ朝日系列のテレビアニメ『夢のクレヨン王国』でアラエッサ役の声優として出演。

2002年にNHK『みんなのうた』で歌唱した(作詞・作曲も本人)「ママの結婚」は大きな反響を呼んだ。2004年6月時点でシングルと『みんなのうた』のベスト盤の合計で1万1000枚を売り、CD付き絵本は初版1万5000部が約2か月でほぼ完売するなどヒットしている。2014年には、『ねむいいぬ』で再び『みんなのうた』で歌っている。

娘の坂田めぐみもタレントとして活躍しており、CDやステージ、テレビなどでたびたび父娘共演をしている。

(1993年度はレギュラー出演。1994年度から2004年までは定期的にゲスト出演)

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