和田政宗の出身高校

和田政宗 アナウンサー

和田政宗卒業高校
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生年月日
1974年10月14日生まれ

和田 政宗(わだ まさむね、1974年10月14日 - )は、日本の政治家。次世代の党所属の参議院議員(1期)、次世代の党幹事長兼政策調査会長。元NHKアナウンサー、ジャーナリスト。

1974年(昭和49年)、東京都小金井市生まれ。名前の「政宗」の由来は伊達政宗。小金井市立小金井第三小学校、小金井市立緑中学校、慶應義塾志木高等学校を経て、1997年(平成9年)、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。阪神・淡路大震災を報道するアナウンサーの姿を見てアナウンサーを志すようになる。

大学卒業同年、日本放送協会(NHK)へ入局。2004年(平成16年)、新潟県中越地震の取材や、帯広放送局在任中に十勝沖地震を経験したことなどから、防災の専門性向上を意識し、2007年(平成19年)、防災士の資格を取得。同年開催された北京オリンピックでは、ガーナ野球競技代表の臨時スタッフを務め、現地における手続を支援した。

大阪放送局に転任後は、防災士の資格を生かして町内会の防災活動に取り組んだ。2009年(平成21年)には、コロンビアの少年を日本に招く「コロンビア野球少年プロジェクト」の事務局長に就任。同国から10名を日本に招き大阪、岡山、東京での練習試合や社会体験を実施した。

仙台放送局に転任後はこれらの経験を踏まえ、2010年(平成22年)、宮城県防災指導員の資格を取得。文部科学省の仙台圏戦略的大学連携事業「防災支援ボランティア養成講座」のほか、仙台市内の小学校、町内会や学生向けの防災講座で講師を務めた。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の際には2カ月間に渡り被災地を取材し、震災関連の番組制作を担当。同年8月、宮城県名取市閖上の町内会と津波避難について協議を行った経験を元に、ラジオドキュメンタリー『弔い人の地図〜名取市閖上〜』を企画制作、および、ナレーションを務めた。同番組は、NHK代表として放送文化基金賞に出場した。

2013年(平成25年)3月19日、NHKを退職し、同年7月21日の第23回参議院議員通常選挙に宮城県選挙区からみんなの党公認で出馬。選挙では新経済連盟と志太勤の推薦を受けた。当初から愛知治郎に続く2位争いを意識し、対立候補の岡崎トミ子が反日デモに参加していたことや、所属する民主党の政策などを批判する動画を配信したり、USTREAMやYouTubeで生放送番組を17回放送したりするなどインターネットを利用した選挙運動を展開した。

和田は最終的に22万0207票を集め、次点となった岡崎に対し5102票差で初当選した。同年12月10日、みんなの党青年局長に就任、2014年(平成26年)1月31日には同党東北復興院副総裁に就任した。同年11月19日、所属していたみんなの党が解党を決定したため、松沢成文とともに新党結成を模索するが断念し、同月26日、入党要請を受けていた次世代の党に入党。12月25日、同党政策調査会長に就任した。

2015年(平成27年)5月1日、憲法改正を目指す団体「美しい日本の憲法をつくる宮城県民の会」の会長代行に就任した。同年8月28日、次世代の党を離党した松沢の後任として、政調会長兼務のまま幹事長に就任。9月25日から30日の6日間、次世代の党党首の平沼赳夫が離党したことに伴い、後任の中山恭子が10月1日に就任するまで、党首代行を務める。9月30日、次世代の党両院議員総会において、翌10月1日からの新役員体制発足が承認され、和田は幹事長、参議院幹事長、政策調査会長、広報局長、青年局長の党役職を兼務することが発表された。さらにその後は党名存続を経て政策調査会長の職務に専念することとなった。

東日本大震災で被災した宮城県沿岸地域の防潮堤建設について、2013年11月5日、参議院国土交通委員会で、高台移転のため無人となる地域や海水浴場への建設により景観が損なわれるとして問題視した。さらに、2014年3月12日、参議院予算委員会で、内閣総理大臣の安倍晋三に防潮堤問題について質疑し、「地元住民との合意形成が必要」と答弁を得る。

災害時における避難路・救援物資輸送路の確保について、2013年11月26日、国土交通委員会で国道4号・三陸自動車道の車線増加や仙台空港の重要性を主張した。

みんなの党青年局長として震災の月命日に合わせ被災地を訪問し問題点を改善する「ACTION11」を主催し、2013年12月22日から同党が解党するまで11回実施した。

東日本大震災復興特区法の改正法案を巡り、2014年の第186回国会では、畑浩治が提案した高台移転促進のための議員立法を支持し共同提案を決定。和田はこの動きに触発された与党が同様の内容の法案を提出したと述べている。同法改正法は4月23日の参議院本会議で全会一致で可決、成立した。

アベノミクスについて、「一本目の矢(金融政策)、二本目の矢(財政政策)の効果が足りない」としてデフレ脱却を主張し、現役世代の所得を10年間で1.5倍に引き上げることを掲げ、消費税の10パーセント引き上げや軽減税率導入に反対の立場を表明している。

オーストラリア戦争記念館の第二次世界大戦を扱うコーナーの床に旭日旗の映像が投射されていた問題で、和田は2013年9月に同館を視察した際この事象を発見し、オーストラリア政府と同館に抗議した。その後、オーストラリア政府は在オーストラリア日本大使館からの申し入れに応じ、10月15日までに映像の投射を取りやめた。

極東国際軍事裁判(東京裁判)においてA級戦犯を定義する「平和に対する罪」について、2014年3月12日、参議院予算委員会で外務大臣の岸田文雄に質疑し、1945年のニュルンベルク裁判および極東国際軍事裁判条例から出たもので、「その後も確立しているかどうかについては議論がある」ことを答弁で確認した。この答弁を受け、和田は政府見解においても確立していない罪名のもと、法の不遡及の原則に反して裁かれたものであったことを述べた。

村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(村山談話)における「植民地支配」「侵略」の定義について、2015年3月11日、第189回国会において質問主意書を提出した。同月20日、「定義することは困難」とする答弁書が閣議決定されたことを受け、「世界に発信した首相談話が定義出来ないというのは曖昧に過ぎる」として、4月に田沼隆志、藤岡信勝らと共に村山談話の作成過程を検証するプロジェクトチームを立ち上げた。プロジェクトでは関係者からの聞き取りを通して、談話の内容が事前に示されることなく、一部の関係者のみによって作成されたとする検証結果を取りまとめ、8月に公表した。

ポツダム宣言における「世界征服」の文言とサンフランシスコ平和条約との関係について、2015年5月28日に質問主意書を提出した。6月5日、「世界征服の文言は連合国側の政治的意図を表明した文章」とし、「サンフランシスコ平和条約が効力を発生すると同時にポツダム宣言の効力は失われている」とする答弁書が閣議決定された。

第2次安倍内閣が進める集団的自衛権の行使容認について、2014年6月、「抑止力が高まり、国民と自衛官を守ることに繋がる」として支持を表明した。

周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(周辺事態法)の自衛隊による他国軍への後方支援を可能とするための改正法案について、2015年2月15日、「現状の法制度では、自衛隊の行動が制限され過ぎている」として支持を表明した。

自衛隊病院・防衛医科大学校病院が年度末になると予算不足で手術が行えなくなる問題について、2015年3月30日、参議院予算委員会の質疑で問題を指摘し、災害や有事の際に治療を行えるようにするための予算確保を求めた。

日本国憲法第9条の改正について、2015年5月3日、日本会議主催のフォーラムに出席し、「アメリカの国力が下がりつつある現状に対し、国民の命と国の在り方について議論しなければならない」として問題提起した。

平和安全法制について、2015年9月8日、自衛隊の海外派遣に関して「国会による例外なき事前承認」など国会の関与を強める次世代の党・新党改革・日本を元気にする会共同の修正案を受け入れることを求め、「国会の関与が強まれば国民の過半数は納得して成立するだろう」と主張した。同月15日、国会議事堂周辺で行われた同法制への抗議集会に関し「憲法上認められた権利だ。国会議員は当然、許容しなければならない」と述べると共に、午後9時以降も集会が続いたことに触れ、「平穏なデモ、抗議活動ができないものだろうか。日本は良い国だ。中国のウイグルやチベットで抗議活動をすると、銃を乱射されて射殺される」とも述べた。

竹島を巡り、2014年2月22日、「竹島の日」記念式典に出席した際に「早く竹島奪還記念式にしなければならない」と演説し、国際世論への働きかけを訴えた。

尖閣諸島や竹島の観光資源としての有益性を挙げ、2014年10月16日、参議院国土交通委員会で、実地調査のための上陸が可能かについて質疑した。この際、和田は領土・領海意識育成のため、学校教育での取り組みを行うべきであることなどを述べた。

日本の調査捕鯨を妨害するシーシェパードへの対策について、2014年4月21日、参議院決算委員会の質疑で、巡視船を派遣して取締まるため、関係国に了承を取り付けるように求め、同時に商業捕鯨再開のために調査捕鯨を確実に実施するように求めた。

仙台市で開催された「羽生結弦金メダルおめでとうパレード」で、主催者が日本の国旗の紙手旗を用意していないことが問題になった際、支援者を通して日の丸の紙手旗約2000本を配布したことを、開催翌日の2014年4月27日、ブログで公表した。

日本において外国人留学生のみが給付型奨学金を受け、日本人学生は貸与型奨学金のみしか受けられず、社会に出た後の負担が大きいことについて、2015年4月1日、参議院予算委員会の文部科学大臣の下村博文に質疑した。和田が日本人学生向けの給付型奨学金制度の創設を求めたことに対し、下村は「創設に着手したい」と答弁した。

趣味はマラソンで、和田はホノルルマラソンを5回、仙台ハーフマラソンを2回完走したと述べている。特技は剣道で、中学校時代は剣道部に在籍、剣道二段を有する。

帯広局時代

大阪局時代

仙台局時代

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