北條史也の出身高校

北條史也 プロ野球選手

北條史也卒業高校
光星学院高校 偏差値 青森県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
4581位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1994年7月29日生まれ

小学校4年から野球を始め、美木多中学校時代はオール狭山ボーイズに所属。 中学校の2学年先輩にプロでチームメイトとなる一二三慎太がいる。

光星学院高では1年からベンチ入り。2年夏には第93回全国高等学校野球選手権大会に出場し、チーム最多タイの8打点を記録し、チームも準優勝した。明治神宮野球大会では打率.455、1本塁打、7打点の活躍で優勝に貢献。神村学園高戦では大会史上初の逆転サヨナラ満塁ホームランを放った。第94回全国高等学校野球選手権大会では、第67回大会の清原和博にあと1と迫る1大会4本塁打を放つなど4番打者として活躍し、同校の先輩である坂本勇人に例えられ‘‘坂本2世”と呼ばれた。この4本は2度の2打席連続本塁打という形で記録されており、これは同大会の清原以来史上2人目である。決勝戦では、後にプロでチームメイトとなる藤浪晋太郎を擁する大阪桐蔭高と対戦。4打数無安打2三振と抑えられ、優勝を逃した。しかしながら、光星学院高は、2011年夏から、2012年春、2012年夏と3大会連続で準優勝を記録するなど、主砲としてチームを引っ張った。高校通算25本塁打。甲子園通算29打点は清原と並んで史上最多である。

第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選出され、世界大会を経験した。

2012年のドラフト会議で、阪神タイガースから2巡目指名を受け入団。背番号は2。

2013年シーズンはウエスタンリーグで遊撃手として84試合に出場し、打率.199、1本塁打、20打点であった。守備面では18失策を喫し課題を残した。10月7日より宮崎県で開幕したみやざきフェニックス・リーグに参加、ショートだけでなく、セカンド、サードの守備にも実戦で挑戦し、翌年の出場機会増加を目指した。

2014年には7月17日に長崎ビッグNスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに「5番セカンド」で先発し、初出場。最終成績は二軍で102試合に出場し、打率.259、2本塁打、23打点だったが、選球眼が大幅に向上しリーグ最多の52四球を記録した。9月29日には一軍初登録を果たしたが、出場機会のないままシーズンを終えた。シーズン終了後は台湾で開催された第1回IBAF21Uワールドカップの日本代表に選ばれ、ベネズエラ戦で3ラン本塁打を放つなど日本の全8試合に出場し、打率.304、1本塁打、8打点の活躍で日本の準優勝に大きく貢献。二塁手の大会ベストナインに選出された 。

2015年は、14年後半のファームでの活躍に加え、前述の21UW杯の活躍や、そこから帰国直後に参加した秋季キャンプでのアピールが実り、初の一軍キャンプスタートとなった。14年オフに鳥谷敬がメジャーリーグ挑戦も視野に入れてFA権を行使したことで、結果的に鳥谷は残留したものの、球団内外で‘‘ポスト鳥谷”の育成が急務であることが強く印象づけられた。そのため、その候補のひとりとして期待され、鳥谷とともにショートのポジションでノックを受けるなど、鳥谷のプレーを間近で感じる機会を得た 。同世代の西田直斗、陽川尚将、中谷将大が二軍落ちや負傷離脱となる中で、捕手と新人以外の14年に一軍出場がなかった野手では唯一キャンプ初日からオープン戦最終戦まで一軍に帯同した。しかし、オープン戦の成績自体は1安打のみに終わり、打率.067、打点0と打撃で結果を残せず、開幕一軍は逃した。シーズン開幕後はファームでそれまでの2年間と比べ長打力が向上。それまで多かった7〜9番に代わり、1番や3〜5番の上位打線での出場が多くなった。また、森越祐人の加入や、新人の植田海が入団し、セカンドやショートでプレーすることが多いため、自身はサードでのスタメンも増えている。5月26日に故障で離脱した関本賢太郎と入れ替わり一軍昇格。28日の対楽天戦で5回裏にマリオ・サンティアゴの代打としてプロ初出場を果たした。この打席は一邪飛に終わり翌日二軍に降格、一軍での出場はこの1打席のみだった。二軍では112試合に出場し、打率.243、10本塁打、43打点を記録した。

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