前田大和の出身高校

前田大和 プロ野球選手

前田大和卒業高校
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性別
男性
生年月日
1987年11月5日生まれ

前田 大和(まえだ やまと、1987年11月5日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。

2007年から登録名を「大和」にしている。

鹿児島県鹿屋市出身。鹿屋小学校で、鹿屋ソフトボールスポーツ少年団に入団。鹿屋中学校時代には、ボーイズリーグの「鹿屋ベイスターズ」に所属。樟南高校では1番遊撃手として、1年夏の甲子園、3年夏の甲子園に出場、3年時は8強入りに貢献した。この時試合をテレビで観戦していた阪神監督の岡田彰布にその守備力を注目され、2005年の高校生ドラフトで阪神から4巡目で指名を受け、入団。

2006年は入団前から評判だった守備が高く評価され、高卒1年目しかもドラフトでは最後の指名ながら主に2番遊撃手として二軍レギュラーに抜擢され、フレッシュオールスターゲームにも出場。全88試合のうちリーグ最多の83試合に出場し、2位以下を大きく引き離しての最多犠打を記録した。また、ウエスタン・リーグ2位となる4本の三塁打を放った。

2007年は2年連続でウエスタン・リーグの最多犠打を記録、再びフレッシュオールスターに出場したほか、北京プレオリンピック野球日本代表にも招集され、全5試合に出場。決勝の中国戦で勝利打点となる適時打を放った。

2008年は3年目にして初めて、野原将志とともに春季キャンプの一軍メンバーに抜擢された。しかし2人とも開幕までに二軍に降格し、シーズン中も一軍出場はなかった。二軍では71試合に出場して打率.226, 出塁率.266ながらリーグ3位の14盗塁を記録し、3年連続の最多犠打、遊撃手として最高守備率も記録した。

2009年も春季キャンプの一軍メンバーに選ばれたが開幕は二軍で迎えた。二軍でも開幕から打撃不振で打率1割台だったが、4月14日に初めて一軍登録され、翌15日の対中日ドラゴンズ戦で初出場を果たした。その後も主に代走・守備固めとして起用されたが、5月31日の対北海道日本ハムファイターズ戦で延長12回二死1・2塁のチャンスで打席に立った際、フルカウントまで一球もスイングせずに三振に倒れ、翌日二軍に降格した。後に本人は「自分で決めに行く勇気がなかった」と暗に四球狙いの消極的姿勢だったことを認めた。

7月5日に一軍復帰し、7月22日の対東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初安打を記録した。8月4日の対中日戦では同じくプロ初となるスタメン出場を果たした。この試合で中日の先発のチェン・ウェインから2安打を放ったが、それがその試合における阪神の出塁の全てであり、結果的に完全試合を阻止した形となった。またシーズンオフに開催されたU-26 NPB選抜 対 大学日本代表の試合では、阪神唯一の年齢制限枠代表として出場した。

2010年は60試合を超える一軍公式戦出場を果たし、初のヒーローインタビューも経験した。この年は内野手登録ながら4試合に外野手として出場。10月20日に宮崎で行われていたみやざきフェニックス・リーグに合流すると、出場機会を増やすために外野の守備練習を直訴、同リーグでの外野手出場を希望した。

2011年もシーズン開幕から一軍メンバーに選ばれたが、5月13日の二軍戦で左肩を痛め登録を抹消された。その後、8月5日に再び一軍登録され、8月7日の対ヤクルト戦で初めて一塁の守備についた。この年はおもに三塁の守備固めとして、右翼以外の内外野6ポジションについた。

2012年には、内野手登録のまま、オープン戦から主に中堅手として起用。そのまま開幕一軍入りを果たすと、打撃で得意としている左投手と対戦する試合を中心に、主に「2番・中堅」としてたびたびスタメンに起用された。後半戦以降は上本博紀と共に俊足の1・2番に定着。シーズンを通して初めて100試合以上に出場した。

2013年には、内野手登録のまま、開幕から「2番・中堅」としてレギュラーに定着。新たに加入した西岡剛との1・2番コンビで活躍する一方で、外野の守備では広い守備範囲でファインプレーをたびたび見せた。セ・パ交流戦期間中には極度の打撃不振で途中交代や打順の降格も経験したが、「9番・中堅」で出場した6月1日の対オリックス・バファローズ戦では、先発で完投した金子千尋から決勝打を含む二塁打を全打席(3打席連続)で放った。6月29日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)では、両親や地元・鹿屋市から来場したツアー客の前で、プロ入り後初のサヨナラ安打を放った。しかし、8月20日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜)9回表の打席で、大田阿斗里から右手に死球を受け交代。その後の診断で右手中指の骨折が判明し、翌21日に出場選手登録を抹消された。しかし、チームの最終戦になった広島とのクライマックス・シリーズファーストステージ第2戦(10月13日・甲子園)では、「2番・中堅」としてスタメンで実戦に復帰した。一軍の公式戦では、出場試合数こそ前述の骨折の影響で前年より下回る104試合に終わったものの、入団後初めて規定打席に到達した(打率.273)。

2014年から外野手登録に変更。公式戦では、開幕から「2番・中堅」として、攻守にわたって活躍していた。しかし、「1番・二塁手」として起用されていた西岡剛と上本が故障で相次いで戦線を離脱したため、5月5日の対ヤクルト戦(神宮)で2シーズン振りに二塁手として出場。その後も、上本が交流戦で戦線に復帰するまで、主に二塁を守っていた。5月14日の対広島戦では、一軍通算1,172打席目に当たる第2打席で、プロ9年目にして初の本塁打を放った。しかし、7月25日の対広島戦(マツダスタジアム)試合前のシートノックで、外野から本塁への返球中に左腹斜筋の筋挫傷を発症。試合へ出場しないまま、翌26日に出場選手登録を抹消された。8月19日に一軍へ復帰。チームがシーズン2位から進出した2014年の日本シリーズでは、福岡ヤフオクドームでの中堅守備で何度も好守を披露した。シリーズの終了後には、自身初のゴールデングラブ賞を外野手部門で受賞。阪神・巨人連合チームの一員として臨んだ「日本プロ野球80周年記念試合」(11月11日・甲子園)では、日米野球2014で来日したMLBオールスターチームの投手陣から3安打を放った。

2015年には、オープン戦から極度の打撃不振に陥り、「8番・中堅」として3年連続の開幕スタメンこそ掴んだものの、早々とスタメンの座を江越大賀らに奪われ、シーズン中盤までは主に試合の途中から代走や守備要員として出場。6月9日のソフトバンク戦(福岡ヤフオクドーム)では4年振りの三塁守備、11日の同カードでは4年振りの一塁守備を経験した。8月の長期ロード以降は、レギュラー二塁手・上本が骨盤付近の骨折や太ももの肉離れによってたびたび戦線を離脱したことから、「2番・二塁手」としてのスタメン出場で上本不在の穴を埋めた。首位ヤクルトと1ゲームで迎えた9月21日の甲子園での直接対決では同点の6回裏一死満塁の場面でスクイズの指示が出たが決められず、そのままチームは勝ち越しのチャンスを逃し、続く7回に勝ち越し点を奪われて自力優勝の可能性が消滅。この試合から4連敗を喫して優勝争いから脱落したため、流れを分けたプレーとして大きく取り上げられた。結局、3年ぶりに規定打席未到達に終わり、盗塁も5で4年ぶりの一桁盗塁にとどまった。

ルーキー時代から高く評価されていた守備力が持ち味で「守備だけなら一軍でも通用する」と首脳陣から太鼓判を押され、北京プレ五輪野球日本代表に招集された際には監督の星野仙一からも「阪神で一番守備が上手い」と評された。二遊間での守備力の高さに定評がある井端弘和(巨人)も、中日への在籍中に自身で選んだ「守備のベストナイン」の二塁手部門に大和を入れている。

元来は内野手だが、2014年に中堅手でゴールデングラブ賞を受賞するなど、外野手としても守備力を高く評価されている。その一方で、レギュラー遊撃手の鳥谷敬が海外FA権の行使を宣言した同年のオフシーズンには、鳥谷がMLBの球団へ移籍した場合に備えて首脳陣が遊撃手への再コンバートを検討していた。結局、鳥谷が2015年の春季キャンプ直前に阪神への残留を表明したため、同キャンプでは中堅手としての練習に専念している。

打撃面では、プロとしては華奢な体格であるため、若手時代は非力で長打力がなく、また打率の低さも大きな課題になっていた。だが、2010年頃からは打撃面でも成長を見せ、特に左投手との対戦成績が良く、中日時代のチェンが先発陣の一角を担っていた2011年までは、チェンが先発する試合にスタメンで安打を放つことが多かった。2013年には高い得点圏打率を残した。また、一軍の公式戦では、2012年から3年連続で2桁盗塁を記録している。

現在の課題は、右投手と対戦した場合の打撃。二軍では2年連続で最多犠打を記録したことから、「バントが上手」と評価されていたが、2番打者として一軍のレギュラーに定着してからは送りバントの失敗が目立つようになっていた。しかし、2014年には犠打企図数50回の内48回成功させるほど大きな成長を見せた。。

2013年7月16日の読売ジャイアンツ戦(甲子園)では、1回裏無死1塁で迎えた第1打席で送りバントを試みたところ、先発投手・菅野智之の内角球を右手に当てたため打席の途中で俊介と交代。試合後に右手中指の打撲と診断され、翌日の同カードでは大事を取って欠場したため、同年開幕戦からの連続試合出場記録が80試合で途絶えた。なお、翌2014年も、前述の故障によって夏場での戦線離脱を余儀なくされている。

好物は肉料理とスイーツ。甲子園球場では、2013年シーズンから、大和の好物を盛り込んだコラボレーションメニューとして「若虎大和の大和魂肉弁当」を場内限定で発売している。

プライベートでは、2013年10月19日に、フリーアナウンサー・原麻理子との結婚を発表。2015年8月11日に第1子(長男)が誕生した。

※ 一軍公式戦への出場機会が増えるにつれて、(大和の名前と重なる)サビのフレーズを合唱する応援スタイルがファンの間に浸透している。

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