前田俊介の出身高校

前田俊介 サッカー選手

前田俊介卒業高校
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サッカー選手ランキング
1948位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1986年6月9日生まれ

前田 俊介(まえだ しゅんすけ、1986年6月9日 - )は、奈良県桜井市出身のサッカー選手。ポジションはFW。コンサドーレ札幌所属。広島県立吉田高等学校卒業。

石崎信弘に「あいつは天才じゃろ」と言わしめた高度な技術を持つ稀代のテクニシャンであり、時折見せる曲芸的なドリブル、シュートからカルト的人気を集める。その一方で、運動量が少ない、前線からの守備に難がある選手としても知られ、かつて前田を指導した大熊清やミハイロ・ペトロヴィッチからは、その姿勢に苦言を呈された。このプレースタイルもあってか、希有な才能を持ちながら、なかなか開花しない前田を揶揄した「前俊を諦めない」という言葉が生まれている。

将来の夢は「金持ち」。餃子とコーヒーを好む。

幼少期に、父親が指導者を務めていた桜井FCの練習について行っていたことをきっかけにサッカーを始める。小学校5年生の時「毎日サッカーが出来る」という理由で桜井FCより練習日の多い高田FCに移る。中学3年時に複数の高校やクラブチームからスカウトされ数チームに練習参加、当初は高校選手権への出場を夢見て高校サッカーへ行こうとしていたが、部活特有の厳しい上下関係や規律に馴染めず、それらに比べて自由な雰囲気だったというサンフレッチェ広島ユースに惹かれるようになる。

2002年に広島ユース入団。当初は主にトップ下を務めていたが、次第にストライカーとして頭角を表すようになる。

2003年、日本クラブユース選手権直前に腕を骨折、同大会と高円宮杯全日本ユース選手権は欠場。復帰後、自分不在のチームが快進撃を続けた事 への焦りと悔しさをバネに、同年末のJリーグユース選手権大会でチームを優勝に導き、自身も得点王となる。

2004年には「10」番を背負い、クラブユース選手権優勝(得点王&MVP受賞)、高円宮杯初優勝(得点王受賞)に導く活躍を見せ、3大会連続得点王に輝く。クラブユース史上初の3冠を目指したJユースカップでは、決勝でPK戦の末敗れ準優勝となった。

またこの年は、2種登録選手としてJ1に数試合出場、2ndステージジュビロ磐田戦でJリーグ初得点、チームの勝利とJ1残留を決定付ける決勝点を挙げた。

2005年にトップに昇格。序盤こそサテライトに甘んじたが、第3節名古屋グランパスエイト戦で初のベンチ入り(89分より交代出場)を果たし、第5節東京ヴェルディ1969戦で先発出場。開幕以来、ナビスコカップを含め6戦連続勝ち星のなかったチームに初勝利をもたらす1得点1アシストの活躍を見せる。その後も時間は短いながらもコンスタントに試合出場を続け、3度の決勝点(うちロスタイムに2度)を挙げ、チームの上位進出に貢献した。

U-20日本代表では2005 FIFAワールドユース選手権のメンバーに選出され、グループステージ・オーストラリア戦と決勝トーナメント初戦・モロッコ戦に交代出場。オーストラリア戦では、グループステージ敗退寸前に追い込まれたチームを決勝トーナメントへと導く貴重な得点を挙げた。

2006年、広島は新布陣が機能せずJ2降格の危機に晒される。チームが結果を出せない中、自身も不調に陥り、Jリーグ屈指の2トップであるウェズレイと佐藤寿人の厚い壁に阻まれ、戦術的な問題 や2007年からは平繁龍一の台頭もあり出場機会が減っていった。

同年6月、FWに怪我人が続出し得点力不足に陥っていた大分トリニータに期限付き移籍。その大分でも出場機会は多くなかったが、残留争いの大一番となった大宮アルディージャ戦で後半43分に決勝点を挙げ、大分のJ1残留へ向けて貴重な勝利をもたらした。

レンタルを延長した2008年は、開幕当初は高松大樹や家長昭博の負傷もあり、多くの出場機会を得て活躍。また、必死でチェイスに走るなど、課題とされてきた前線守備にも成長が見られた。しかし継続した結果が出ず、シーズン途中には高松や家長の復帰、森島康仁の加入により、ポジションを奪われてベンチ入りすら出来ないことも増えた。

2009年、大分へ完全移籍。ウェズレイ、森島、高松らの怪我で期待されるも、運動量の少なさから前半での交代や、フォワードは住田貴彦と二人のみにもかかわらず、打開力のあるMF金崎夢生のFWのコンバートが優先され、ベンチ入りも叶わないなど苦闘を強いられ、チームもJ2降格を経験する事となった。2010年はJ2に戦いの舞台を移したが、そこでも出番が少なく、8月11日、J1のFC東京への期限付き移籍が発表された。

FC東京の大熊清監督は「前で時間を作れるタイプ」「(控え組主体の)練習試合をすると一番結果を出している」と評価し、第90回天皇杯4回戦対千葉戦で加入以来初の先発フル出場を果たした。期限付き移籍期間満了により同年限りで退団。

2011年、9月3日の富山戦で2度の警告を受け退場を命じられた際、主審に暴力並びに異議行為を行ったとして、リーグ戦6試合・第91回天皇杯2回戦の計7試合の出場停止が言い渡された。この年は森島と共に攻撃陣の中心として活躍し、リーグ戦では自己最多となる8得点を挙げた。

2012年、大分での活躍が石崎信弘から高い評価を受け、J1に昇格するコンサドーレ札幌に完全移籍した。シーズン序盤からそのキープ力から1トップとして期待され、第7節の川崎フロンターレ戦ではゴールを決めるものの、前線で相手DFに潰される場面が目立ち、その結果札幌の攻撃を滞らせ、チームも低迷し、7失点を喫した第12節の鹿島アントラーズ戦での前半途中での負傷退場を最後に出場機会が激減し、最終的にチームは1年でのJ2降格となってしまった。

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