倉木麻衣の出身高校

倉木麻衣 ミュージシャン

倉木麻衣卒業高校
聖徳大学附属高校 偏差値 千葉県高校偏差値ランキング
ミュージシャンランキング
573位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
性別
女性

この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。

倉木 麻衣(くらき まい、本名は非公表。1982年10月28日 - )は、日本の女性歌手。千葉県船橋市出身。デビュー後大阪府枚方市に転居。所属レコード会社はビーインググループのBeing、レーベルはNORTHERN MUSIC。所属事務所はLOOP。

1999年(平成11年)、当時17歳でリリースしたデビューシングル「Love, Day After Tomorrow」がプロモーションとしてのTV出演もなく、更にはノンタイアップにも関わらず売上140万枚(オリコン調べ)の新人としては異例の大ヒットとなる。さらに、デビューシングルが大ヒットしているさなかに発売された2ndシングル「Stay by my side」もノンタイアップながらオリコン初登場1位を記録し、自身3位のシングル売り上げ枚数となる。続く3rdシングル「Secret of my heart」は初のタイアップがつきオリコン2位に初登場し出荷枚数にして100万枚を突破する記録的大ヒットとなった。以降も継続的にヒットし、1stアルバム『delicious way』は売上350万枚以上(オリコン調べ)、出荷枚数にして400万枚を突破する空前の大ヒットとなった。以降、リリースしたシングルが全てオリコントップ10入りを記録中(2014年現在、40作連続オリコンTOP10入り)。2005年(平成17年)3月に立命館大学を卒業後は、音楽活動に専念。2014年(平成26年)12月、単独ライブ公演回数は300回を突破する。現在までにCD総売上枚数1800万枚を記録している。台湾や中国でも人気があり、台湾のヒットチャートでも1位獲得をしているほか、台湾の人気歌手・孫燕姿とのコラボレーションもしている。

倉木がデビューした1999年の日本の音楽業界は、小室哲哉を頂点とするいわゆる小室ファミリーの勢力が落ち込み、MISIAや小柳ゆき、特に宇多田ヒカルの爆発的なヒットに見られるR&B全盛の時代であった。

当時のブームの影響もあり、R&Bアーティストとしてデビューすることになるが、あくまで親しみやすさ、馴染みやすさを感じさせる歌謡曲の延長線上としての楽曲と、独特のウィスパーボイスが特徴である。2000年(平成12年)、オリコンチャートの年間シングル・トータル・セールス1位、アルバムとアーティスト別のトータルセールス2位を記録した。その後も2ndアルバム『Perfect Crime』がオリコン1位初登場となり150万枚に及ぶセールスを記録するヒットとなるなど、コンスタントに楽曲を発表しており、デビュー以来シングル(DVDシングル、PC配信を含む)のリリースが1年以上空いたことはない。

倉木はデビュー当時よりビーイングのメディアコントロールにより地上波のテレビ番組にほとんど出演していない。出演の多くは、自身の楽曲がタイアップされている番組への録画されたコメントでの出演であり、音楽番組への初出演は、2000年7月1日のTBS系『COUNT DOWN TV』でのアルバム『delicious way』の全曲紹介のコメント出演であった。後述する2009年の『touch Me!』での初出演に至るまでに音楽番組で実際に歌ったのは、2003年 - 2005年の『NHK紅白歌合戦』への3回の出演時のみであった。

その後、徐々に地上波への出演は増加する。例えば、立命館大学の入学式では事務所側からインタビュー無しの写真撮影のみという厳戒態勢だったが、卒業式では倉木自身がインタビューに答えている。また、紅白への出演も2003年に入ってからである。

テレビ番組への露出が少ない一方で、他の媒体への出演は比較的多い。アルバムなどの発売に合わせてラジオ・雑誌などには多く出演し、ラジオや衛星放送で自身の番組を持っていたこともある。

2004年(平成16年)頃からはインターネットでの露出に力を入れている。芸能人としては早くからブログを始め、2005年12月からは衛星放送で放送されていた『Mai-K TV』をNTTのフレッツ内で放送を始めている。

2007年6月、初めての中国、台湾への訪問に、地元メディアが歓迎した。空港からの移動中、宿泊先など様々なシーンで彼女が登場。倉木サイドは旅行中をオープンにしており、日本のメディアも取材が許された。取材がオープンになったのは、中国、台湾とも式典への招待客の立場であったこと、そして中国、台湾への短期PR、台湾ライブのPRを兼ねていたためである。また、事務所サイドでも旅行中の倉木麻衣をくまなく撮影していた。

2009年(平成21年)でデビューから10周年を迎え、これまで控えていたメディアへ10周年記念と称してテレビ等の出演が増加した。2月13日、ミュージックステーションに初めて生出演した(歌唱曲は「touch Me!」)。これを皮切りに『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』、『月光音楽団』など多数の音楽番組、また『笑っていいとも!』の一コーナーである『テレフォンショッキング』(生放送)にも、吉川ひなのの紹介で初出演した。

また初のCMイメージキャラクターとしてコーセー『エスプリークプレシャス』のCMに出演した。このCMは日本国内のみならず、韓国や中国、台湾、シンガポールなどアジア地区でも放映された。

歌詞に関しては、一部のカバー曲、デュエット曲を除いて倉木麻衣名義の作品全ての作詞をしている。ほとんどが倉木の単独名義だが、一部に共作者として関係者の名前がクレジットされている作品もある。

全作品において作曲は一切行わず、作曲家に曲の提供を受けている。デビューから2004年までは、その多くを大野愛果、徳永暁人、YOKO Black. Stoneの3名が占め、特に大野愛果は、倉木の作品の約半分を作曲している。2005年以降は大野愛果、徳永暁人を中心に多くのGIZA所属アーティストから楽曲の提供を受けている。岡本仁志(GARNET CROW)、後藤康二の作曲に触れるようになり、Beingが東京に新設したレーベルNORTHERN MUSIC在籍以降は財津和夫、NERDHEADなどの外部の作家と手を組むようになる。

編曲は作曲者が担当するか、もしくはボストンの音楽制作チーム「Cybersound」に依頼する場合が多い。

倉木が「歌うこと」に初めて興味を持ったのは、小学校6年生の時である。当時倉木はピアノを習っていて、漠然と音楽に関わる仕事をしたいと考えていた。そのピアノのレッスンの中に音符を読みながら歌っていくというものがあったのだが、その歌を聴いた彼女の先生の「あなたはピアノより、歌が向いている」という言葉がきっかけとなり、歌の道に進みたいと考えはじめた。

中学生になると、マイケル・ジャクソンのビデオを見たことをきっかけに洋楽、中でも特に女性アーティストの作品を聴くようになる。その後、マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストン、ローリン・ヒルなどを聴くようになり、彼女らのようなシンガーになりたいと真剣に考えるようになり、デモテープを作成して色々な会社へ送り始める。

その頃、ビーイングを組織し後にKANONJIの名で倉木のプロデューサーとなる長戸大幸と出会う。長戸は倉木のデモテープを聴いて高校生になってからのデビューを提案し、それまでは英語の勉強や色々な経験を積み、デモテープを何本も作るべきだと助言する。

高校生になると長戸の紹介でGIZA studioのスタッフと出会い、ローリン・ヒルの「To Zion」のカバーを歌ったデモテープを送ったところ、デビューが決定する。

倉木麻衣の関連人物

ミュージシャン偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

ミュージシャン偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング