佐田玄一郎の出身高校

佐田玄一郎 議員

佐田玄一郎卒業高校
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228位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1952年12月22日生まれ

佐田 玄一郎(さた げんいちろう、1952年12月22日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)。

安倍内閣で内閣府特命担当大臣(規制改革担当)を務めた他、総務副大臣(第1次小泉内閣)、衆議院議院運営委員長(第66・74代)、衆議院総務委員長等を歴任した。

元参議院議員の佐田一郎は祖父。元佐田建設社長の佐田武夫は父。

群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校、北海道大学工学部卒業。1979年、大学卒業後の4月、鉄建建設に入社。

1990年、第39回衆議院議員総選挙に旧群馬1区(定数3)から自民党公認で出馬し、日本社会党の田邊誠、自民党の尾身幸次に次ぐ3位で初当選。当選後は、同郷の小渕恵三が所属する平成研究会に入会。1993年の第40回衆議院議員総選挙では尾身に次ぐ2位で再選。

1995年、村山改造内閣で大蔵政務次官に就任。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年の第41回衆議院議員総選挙では、旧群馬1区でライバル関係にあった尾身幸次が群馬1区から出馬し、佐田は比例北関東ブロック単独で立候補する住み分けがなされた。同年、文部政務次官に就任。第41回衆議院議員総選挙以降、コスタリカ方式により尾身、佐田が群馬1区、比例北関東ブロックから交互に出馬している。2000年の第42回衆議院議員総選挙では群馬1区から出馬し、3選。

2001年、第1次小泉内閣で総務副大臣に任命された。2005年、衆議院議院運営委員長に就任。2006年に安倍内閣で内閣府特命担当大臣(規制改革担当)に任命され初入閣。あわせて国・地方行政改革、公務員制度改革、地域活性化、道州制を担当する国務大臣も兼務した。2006年12月25日、自身の政治団体「佐田玄一郎政治研究会」が1990年から2000年までの10年間、実態のない架空の事務所費を計上し、約7800万円を支出したとする虚偽の政治資金収支報告書を提出していた問題が発覚。佐田の公設第1秘書の証言によれば、同団体には活動実態が無く、1990年から1999年までに活動費として収支報告書に記載していた2億1300万円についても虚偽記載の可能性が指摘され、佐田は同年12月27日に閣僚を辞任した(後任は渡辺喜美)。2009年の第45回衆議院議員総選挙では比例北関東ブロックから出馬し、7選。一方、群馬1区から出馬した尾身は落選し、その後政界引退を表明した。

2012年10月、安倍晋三総裁の下で自民党財務委員長に就任。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では群馬1区から出馬し、8選。当選後、衆議院議院運営委員長に就任。2013年6月、週刊新潮に女性問題を報じられたため引責辞任。同誌の報道記事は「『佐田玄一郎』常習的買春の現場報告」と題するもので、壇蜜を彷彿とさせる20歳の女子大生と1回4万円で援助交際していたとの内容であり、佐田が背広姿で湯島のラブホテルから出てくる写真も掲載されていた。役職を辞任するのは前述の事務所経費問題に続いて2回目で、いずれも安倍政権下であった。

2014年、第47回衆議院議員総選挙で群馬1区から出馬し、無所属の上野宏史に7000票差まで迫られながらも9選。なお、この選挙で公明党は他の群馬県内の自民党候補に推薦を出す中、佐田陣営が比例北関東ブロック単独で出馬した自民党の尾身朝子(尾身幸次の長女)と連携する方針を示したことや、自民党公認をめぐって混乱がみられたことを理由に佐田を推薦しなかった。

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