井生崇光の出身高校

井生崇光 プロ野球選手

井生崇光卒業高校
東筑高校 偏差値 福岡県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
233位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1981年3月12日生まれ

井生 崇光(いおう たかみつ、1981年3月12日 - )は、元プロ野球選手(外野手、内野手)。

ソフトボール選手だった母親の影響で小学校2年の時からソフトボールクラブに入る。北九州市立上津役中学校では軟式野球部に所属。東筑高校に進学し、2年秋の九州大会でベスト4、3年春の甲子園では1回戦敗退。この試合には、1番・遊撃手として出場し、先制タイムリーを放っている。

夏の県大会では、久保裕也擁する沖学園や田中瑞季擁する柳川などを破って決勝に進出するも、村田修一・大野隆治のいる東福岡の前に敗れた。

広島東洋カープの村上孝雄が才能を評価し、1998年のドラフト会議で2位指名を受け入団。プロ入りに際し、父と兄にはプロ入りを支持されたが、母は当初大学進学を希望していた。幼い頃に背番号8のついたカープのユニフォームの服を母に着せてもらったのを思い出したのを決め手に入団した。遠投90m、50m6秒0。目標は正田耕三。

高い守備力を誇り、毎年キャンプで若手の注目株として挙げられるも、故障や打撃力が課題で、2004年までの6年間は一度も一軍に昇格できなかった。5年目2003年フレッシュオールスターゲーム出場。2004年途中には、その足と肩を買われて内野手から外野手にコンバートされた。

2005年に二軍で打率.273、18盗塁の好成績を残したことが認められ、山本浩二監督退任直前の9月にプロ7年目にしてようやく一軍に初昇格し、プロ入り初安打を放った。この年は4試合3打数のみの出場だったが、プロでやって行こうというモチベーションを得た。

2006年には外野手に故障者が出たこともあって5月下旬から一軍に帯同し、主に相手先発が左投手の際にスタメンとして起用された。出場機会が大幅に増え、自己最多の76試合に出場した。規定打席には届かなかったが、前田智徳以上の出塁率をキープした。代打や守備固め(時々内野の守備に就くこともある)での出場が中心で、9月10日の中日戦では7回から捕手も務めた。チェストプロテクター等は木村一喜の物を使用した。林昌樹のスライダーがショートバウンドしたがファインセーブし、ベンチから拍手喝采がおきる。この日の起用は逃げ腰リードの倉や、8日の試合でサヨナラ打撃妨害をした石原慶幸への「見せしめ」の意味合いもあった。投手任せのリードではあったが2006年にカープが掲げていた「無駄な四球は出さない」を実践して敬遠以外では四球は出さなかった。9月26日の試合では故障した嶋重宣に代わり3番スタメンに抜擢された。

監督のブラウンから、に代わるオールマイティーなユーティリティープレイヤーとして期待された。外野手32試合、一塁7試合、三塁3試合、捕手1試合を守り、投手・二塁・遊撃は守らなかったが、7月14日の対横浜戦での5人内野シフトの際にセカンドベース横を守っている(記録上、守備位置は中堅)。

2007年からは木村拓也の移籍前の背番号「0」を受け継いでいる。ウェイトトレーニングに取り組み、体が一回り大きくなった。それが功を奏して脅威の代打成功率を残し、左投手に2年続けて好成績を残したことから、手薄なカープの右の代打陣の中では貴重な存在となった。二塁・外野を守り、打率.283と結果を残したが、前年の約半分の36試合出場にとどまった。2008年は春季キャンプ中に不調で二軍落ち。二軍暮らしが続いた。最終的には二軍で好成績を残すも一軍昇格は無かった。内外野の新戦力に押し出される形となった。

しばらく1軍から遠ざかっていたが、2011年に一軍では赤松真人が故障で戦線を離脱した事で、二軍で.304、2本塁打と好調を理由に、手薄な右打者の穴埋めとして4月26日に一軍昇格し、同年7月15日には対中日ドラゴンズにおいてプロ入り初となる猛打賞と本塁打を記録した。プロ13年目での初本塁打は、NPBの野手としては石山一秀(14年目)に次ぎ、飯山裕志、田原晃司と並ぶ史上二番目タイの遅さとなった。

2012年は一軍出場が無く、11月5日に現役引退することが発表された。引退後はスコアラーに就任する。

捕手の経験もあり、内外野すべての守備位置を守れるユーティリティープレイヤー。

打者としてはあまり長打を放つというタイプではないが、ファーム時代から三振数も少なく、バットを立たせた構えから素直に右左にライナー性の打球を放つ堅実な巧打者タイプ。 いわゆる松坂世代の一人である。愛称は「HOI(ホイ)」(「井生」のローマ字表記「IOH」を逆さから呼んでいる)。マーティ・ブラウンからはサルファー(sulphur 英語で硫黄)と呼ばれる。趣味は(ロッカーが近い)梵英心の観察。

非常に真面目な性質で、シーズンオフは大野練習場で最後まで練習に精を出している。

2006年7月9日の対巨人戦9回表、李承燁の同点ソロ本塁打で同点に追いつかれたその裏の広島の攻撃。二死無走者で井生は代打で登場し、豊田清からレフト前安打を放ち出塁した。その後、東出輝裕の打席の際に二塁盗塁を敢行、ヘッドスライディングをした井生に対し、捕手からの送球は少々高めになり判定はセーフとなった。だが井生は二塁塁上で一瞬座り込んんだ後、二塁を離れてしまった。

これを見た巨人守備陣が、一塁付近にいた井生に触球し、アウトを主張した。しかし二塁塁審の杉永政信は、井生が二塁塁上で座り込んだ時に既にタイムをかけていて、その後の離塁であるため、プレイは無効であるという判定を行い、巨人側の主張を退けた。この判定を不服に思った巨人監督の原辰徳は猛抗議をした。杉永は場内説明で「井生選手がユニフォームの泥を掃うものと思い(井生からの要求は無かったものの)タイムをかけた」と述べた。

結局、井生を二塁に置いて試合は再開した。東出のセンター前ヒットで一気に井生が生還し広島のサヨナラ勝ち(巨人は広島に同一カード3連敗を喫し計6連敗となった)。

試合後の会見で、ブラウン監督はこの謎の帰塁を「(一塁コーチに)晩飯の焼肉の相談でもしに行ったんだろう」と冗談交じりに語っている。

なお、杉永がタイムを宣告していなかった場合、井生は一塁の塁上で触球されているので、この段階ではセーフである。ただし、井生が一塁ベンチに戻ろうとしていたのであれば、審判員が走塁放棄と判断して、触球がなくともアウトを宣告する可能性がある。

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