丹羽洋介の出身高校

丹羽洋介 サッカー選手

丹羽洋介卒業高校
広島大学附属高校 偏差値 広島県高校偏差値ランキング
サッカー選手ランキング
11位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1940年10月10日生まれ

丹羽 洋介(にわ ようすけ、1940年10月10日 - )は、中国上海市生まれ、広島県広島市出身の元サッカー日本代表選手・指導者。

広島大学附属小学校時代にサッカーを始め、広大付属高校時代は鬼武健二、桑田隆幸、野村尊敬、小城得達、桑原楽之、溝手顕正らとプレーし、高校3年生のときに第37回全国高等学校蹴球選手権大会(高校選手権)に出場して準優勝する。

早稲田大学に進学。川淵三郎、鬼武、桑田、松本育夫、森孝慈、釜本邦茂、大野毅らと共に活躍し、1960年関東大学サッカーリーグ戦優勝を果たす。1960年に全日本(日本代表)に選抜され、同年9月親善試合対FCパフタコール・タシュケント戦で代表デビュー(Cキャップ)を果たした。

1963年今西和男らと地元東洋工業(現マツダ)へ入社、東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)へ入団した。東洋工業では桑田、小城、桑原、松本、石井義信、二村昭雄らと共に、日本リーグ(JSL)4連覇、天皇杯優勝3回に貢献。その中で丹羽は小沢通宏、今西、桑原弘之、大野毅、川野淳次、国枝強らとディフェンダー(フルバック)として活躍、1969年には全日本(日本代表)に再選抜された。1970年の天皇杯ではキャプテンを務め優勝に貢献し、翌1971年現役引退。

引退後は社員として東洋工業/マツダに務め、1987年長野に転勤することになった。その後マツダ本社の広島復帰の意向があったが退社し、トヨタUグループのネッツトヨタ長野の代表取締役専務を務め、古稀を迎え2011年5月19日同社を退社する。

マツダ社員時代、長野に転勤した際には「今まで培ってきた技術と知りうる情熱を少年たちに伝えたい」という心から、勤務先の通学エリアである裾花小学校に少年サッカークラブの設立を呼びかけ、1988年に裾花フットボールクラブを設立する。1990年には長野市サッカー協会副会長、1994年には長野市サッカー協会会長を務める。2004年からは長野県サッカー協会会長となり、2010年北信越サッカー協会会長に選出され、長野県をはじめ北信越サッカーの育成に尽力する。長野県サッカー協会会長を退任後2012年7月より、AC長野パルセイロスーパーバイザーに就任。2013年から2015年までAC長野パルセイロの運営会社である長野パルセイロ・アスレチッククラブの社長を務めた。

サッカー選手偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

サッカー選手偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング