中田翔の出身高校

中田翔 プロ野球選手

中田翔卒業高校
大阪桐蔭高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
325位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1989年4月22日生まれ

中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。 愛称はスナイパー翔。

広島市立竹屋小学校3年から広島鯉城リトルで捕手として野球を始める。二学年上の松下建太とバッテリーを組んでいた時期もある。6年時に投手に転向。広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打。広島市立国泰寺中学校3年時に鯉城シニアで日本代表入り。エースで4番を務め、アメリカ遠征で4本塁打を打ちMVPに、世界大会準優勝の原動力となる。投手としても141km/hを計測した。広島で過ごした少年時代は、当時の広島市民球場でプロ野球選手になる夢を抱いたカープファンだった。

中学時代に大阪桐蔭高校の西谷浩一監督に入学を誘われ、同校に進学。中田が活躍したことで大阪桐蔭は大阪だけでなく、各地の有力選手が集まるようになった。1年夏には五番・一塁手でレギュラーとなり、2005年の夏の甲子園ベスト4に貢献、また投手としても最速147km/hを計測。秋からはエースで四番を任され、2年春には151km/hまで球速が伸びた。2年時は肩の故障で投手としては活躍が出来なかったが、四番・右翼手として出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会準決勝の市川高校戦 (和歌山県営紀三井寺野球場)で推定飛距離170メートルの本塁打を打つ。この頃から「平成の怪物」と呼ばれるようになる。3年生時の7月6日、全国高校野球大阪大会直前の練習試合・生野工業高校戦にて当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録。大阪大会の決勝ではエースの植松優友を擁する金光大阪高校と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも厳しいマークに遭い5打数無安打で、チームは敗戦して甲子園出場を逃した。この大会では本塁打は打てなかった。高校通算87本塁打、甲子園でも歴代7位となる4本塁打を打った。

2007年10月3日のプロ野球ドラフト会議(高校生対象)においては、佐藤由規、唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、北海道日本ハムファイターズ、阪神タイガース、オリックス・バファローズ、福岡ソフトバンクホークスの4球団から1位指名を受けて、抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。同年11月6日、高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(推定)で契約。背番号は同年オフに現役引退した田中幸雄の「6」を引き継いだ。

高校時代に推定飛距離170メートルの本塁打を放った長打力を持ち味とし、体勢を崩されてもスタンドにボールを運ぶ。初球から積極的に振っていく打撃で、四球率は通算6.7パーセントと平均的だが、反面2011年にはボールゾーンのスイング率が30パーセントを越えるなど選球眼に難がある。

打撃フォームの変遷が激しく、2011年には脇をしめて足をガニ股に開くノーステップ打法に取り組む。しかし下半身に負担がかかるため後半戦からはガニ股をやめ、当時の打撃コーチであった福良淳一やチームメイトだった稲葉篤紀からアドバイスを受けながらすり足打法に取り組んだ。この年のオフにはケビン山崎の指導を受けて下半身を強化し、ガニ股打法を1年間継続させることを目指したが、翌2012年は5月まで打率.169と不振に陥り、同月下旬からは福良の指導を受け左足を軽く上げるオーソドックスなフォームとなった。

走塁面では一塁到達4.3秒台と右打者としてはスピードは平均的で、盗塁試行数は少ない。また、走塁ミスも目立ちフライで帰塁できなかったケースがあるが、2014年5月18日のロッテ戦(札幌ドーム)では自身は二塁ランナーで平凡なレフトフライで普通に戻れる距離にも関わらず、油断してレフトからの何気ないセカンドへの送球がタッチの差で先にセカンドが捕球してアウトになるなど信じられないミスもしている。

守備では入団当初は三塁手と一塁手で起用されたが、2010年からは左翼手としても起用されるようになった。チームメイトだった小谷野栄一から「150キロくらい出ている」と評され、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩からの正確な送球を持ち味とし、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の補殺を記録した。プロ入り当初は守備が課題とされていたが、2012年には糸井嘉男、陽岱鋼と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになり、左翼手で両リーグトップのUZR23.7を記録した。2014年には三塁手への再コンバートが計画されるも頓挫。2015年はレギュラーシーズンを通じて一塁を守った。

ヘルメットと帽子のつばには「克己心」という言葉が書いてある。

チーム屈指の歌唱力を誇ると言われ、カラオケでの十八番は松山千春の「大空と大地の中で」だという。

高校の先輩である西岡剛と親交が深く、例年自主トレをともにしている[49]。

清原和博を尊敬しており[50]、清原も中田に対して「俺の後継者」と期待を寄せている。

2011年まで同僚だったダルビッシュ有と渡部龍一を慕っている。ダルビッシュからは「日本記録の56本塁打を打つまで認めない」[51]などと叱咤され、ダルビッシュのメジャー移籍後も言葉をかけられている[52]。2012年には前年に戦力外通告を受け退団した渡部のラッキーカラーである紫色のグッズを身につけて試合に臨んだ。

後輩には本塁打数や勝利数などシーズンを通じて目標を設定させ、クリアできればポケットマネーで後輩の希望する賞品(主に高級ブランド品)をプレゼントしている。 これは、かつて稲葉篤紀や高校の先輩である西岡に成績に応じて食事をごちそうしてもらった経験があるからだという。

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