中村美里の出身高校

中村美里 スポーツ選手

中村美里出身高校
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スポーツ選手ランキング
4位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
性別
女性
生年月日
1989年4月28日生まれ
血液型
AB型

中村 美里(なかむら みさと、1989年4月28日 - )は、日本の女子柔道選手。階級は52kg級。段位は四段。身長157cm。組み手は左組み。血液型はAB型。 IJF(国際柔道連盟)世界ランキング4位…1700ポイント(2015年9月7日現在)

子供のころから兄や近所の男友達と遊ぶなど活発な幼児期を過ごしていた。ピアノもやっていたが、小学3年生のときにK-1にあこがれて空手をやりたいと母親に持ちかけたところ危ないと反対されて、高尾警察署で柔道を始めた。中学からは相模原の相武館吉田道場に所属して寮生活を送りながら、近くの相原中学に通うことになった。当初は食事もほとんど進まず体重も30kg台であったが、師範の吉田勝に「飯を食べない選手は、強くなれないんだぞ!」と諭されると、精一杯努力してきちんと食事を取るようになった。また、中村の得意技は「小外刈」と言われているが、師範の吉田に言わせれば、「どんな相手と向き合っても動じないこと」だという。

中村美里の名が初めて柔道界に知れ渡ったのは2003年に中学2年で全国中学校大会を制した時。その年、アジアジュニア選手権(マカオ)でも優勝し、将来を嘱望され始めた。

2005年、高校1年になった中村は11月の講道館杯・-48kg級で谷亮子に次ぐ当時の実力者・北田佳世を破り優勝。さらに同年、福岡国際女子柔道で2005年世界選手権優勝者ヤネト・ベルモイ(キューバ)、北田を破り、谷亮子以来の16歳での覇者となる快挙を達成。一躍「ポスト谷」の有力候補として注目を浴びた。

2006年2月、フランス国際柔道(パリ)に派遣され3位。選抜体重別では山岸絵美に敗れ準優勝に終わったものの、将来性を評価され2006ワールドカップ柔道の代表に選出され出場。しかし同大会では4戦し2勝2敗。11月のドーハ・アジア大会では準決勝で韓国の金英蘭に不覚を取り3位。前年に優勝し脚光を浴びた福岡国際ではフランスの女王・フレデリク・ジョシネに緒戦で敗れ3位。2006年の中村は柔道人生で最も大きな壁に当たったと言える。

2007年最初の大会となったフランス国際柔道は敗者復活戦に回り、またしても3位。そして、2007年、柔道世界選手権の最終選考大会となった全日本選抜柔道体重別選手権では準決勝で優勝した福見友子に敗れベスト4に終わり、世界選手権の出場を逃した。

この頃から減量が限界に来ていた中村は、谷と対戦しないまま階級を上げることをためらったが、五輪出場という本来の目標を叶えるため、同年11月の講道館杯から-52kg級への変更を決断した。減量苦から解放された中村は本来の柔道を取り戻し、講道館杯、12月の嘉納杯東京国際と連勝し、この時点で北京五輪の代表候補は2007年世界選手権銅メダルの西田優香と中村の争いに、アテネ銀メダリストの横澤由貴が絡む図式となった。

2008年、高校卒業後は恵本裕子・上野雅恵・横澤由貴らメダリストを輩出している三井住友海上火災保険女子柔道部へ進む。

同年4月6日、五輪代表の最終選考試合となる全日本選抜柔道体重別選手権女子に於いて、中村は決勝まで順当に勝ち上がった。一方、西田は1回戦で君島奈津子に敗れる波乱。決勝で中村は先輩の横澤由貴を降して優勝。当日に行われた代表選考会において北京五輪代表に選出された。その3週間後にはアジア選手権に出場するが、初戦で北朝鮮のパク・ミョンヒ相手に優勢に試合を進めながら、GSに入って背負い投げで効果を取られて敗れる。敗者復活はケガのため棄権した。

同年8月10日、北京オリンピック柔道競技女子-52kg級に出場。2回戦から登場した中村の緒戦はGSの末、ロミー・タラングル(ドイツ)の掛け逃げによる反則で勝利。3回戦はイルス・ヘイレン(ベルギー)から小外刈で効果を奪い準決勝進出を決めた。しかし、準決勝では奥襟を取って圧力をかけてくる安琴愛(北朝鮮)に対しパワーで負け、十分な組み手になれないまま指導のポイントを取られて敗れた。3位決定戦では金京玉(韓国)に得意の小外刈で技有を奪うとそのまま上四方固で合わせ技一本勝ち。銅メダルを獲得した中村は、平成生まれの日本人としては初のメダリストとなった。しかし、試合後は「金メダル以外は同じ」と悔しさをにじませ、4年後のロンドン五輪での雪辱に意欲を見せた。

2008年10月5日、世界団体選手権(東京)に代表として出場。決勝戦にのみ登場し、開始わずか16秒、フランスのマリーヌ・リシャールに小内刈で余裕の一本勝ち。日本の優勝に貢献した。

北京五輪後、初の個人戦となる講道館杯では順調に勝ち上がり、決勝でロンドン五輪へのライバルと目される西田と公式戦初対決。中村は強化を続けている組み手争いで西田にチャンスを与えず、指導2で優勢勝ち。この大会連覇を飾った。

そして、同じく中村対西田の対決となった12月の嘉納杯東京国際・決勝。中村は組み手争いでは優位に立ったが積極的に技が出せずGSの末、旗判定で西田に屈した。これで北京以降、ライバル対決は1勝1敗となった。

2009年は新たにIJFが導入した世界ランキング制_(柔道)がスタート。五輪の出場権は従来の国内選考だけではなく、IJF指定のポイント付与大会に出場し、獲得ポイントで上位に入った選手でないと権利が得られなくなった。その有効ポイントは五輪直前2年間。よって日本選手にとって2010年4月以前の大会の意義は、外国人選手・国際大会経験と毎年開催に変更された世界選手権代表選考へのアピールが主眼となった。

その緒戦、グランドスラム・パリ(旧フランス国際)。第3シードの中村は1回戦で07年世界選手権覇者石俊杰を破るなど順調に勝ち上がり、3回戦で第6シードの宿敵・西田と対戦。前年の講道館杯と同様、厳しい組み手で西田に柔道をさせず、指導2で優勢勝ち。ところが準決勝で地元・フランスの伏兵オードリー・ラリッサ(フランス)に隅返で敗れ3位に終わった。

続くグランプリ・ハンブルク(旧ドイツ国際)。中村は1回戦から体落、横四方固、GS小外刈(有効)、崩袈裟固(技有)と積極的な柔道で決勝に進出した。決勝では何紅梅(中国)をGSの末、大内刈で降し優勝。この大会の1回戦で負傷棄権した西田に差をつけ、大会終了時点で世界ランキング2位となった。

2009年世界選手権オランダ大会の最終選考試合となった4月の全日本選抜柔道体重別選手権。中村は1回戦、準決勝と相手に付け入る隙を与えず1本勝ちで決勝へ。ライバル西田と通算4度目の対決となった決勝戦。中村は小内刈で西田を腹這いにさせるなど優勢に試合を進めたが、両者ポイントなく延長戦へ。ところが延長戦に入ると西田が小内で反撃し中村はペースを取り戻せないまま試合終了。判定は延長戦で主導権を握った西田に旗3本で中村は優勝を逃した。しかし、直接対決が僅差だったため、世界選手権代表に選ばれたのは世界ランキング上位の中村だった。

世界選手権の前哨戦となる5月のグランドスラム・モスクワ。中村は緒戦から順調に勝ち上がり、決勝で世界ランク1位のナタリア・クジュティナと対戦し優勢勝ち。グランドスラム初優勝を果たし弾みをつけた。

ところが7月、スペインでの代表強化合宿で左ひざ前十字じん帯を損傷。全治5~6週間と診断され世界選手権を前に試練に見舞われた。

同年8月27日、世界柔道選手権大会。中村は安定した試合運びで勝ち上がり、準々決勝ではGS指導で、準決勝は指導による反則勝ちで決勝戦に進出した。決勝戦中村は痛めている左の大外刈で、ヤネト・ベルモイに技ありの優勢勝ち。この階級で楢崎教子以来、10年ぶりの世界王座を獲得。世界ランキング1位に躍り出るとともに2段に昇段した。

世界選手権優勝で講道館杯を免除された中村は12月のグランドスラム・東京で、その講道館杯を制した西田と準々決勝で対戦した。他国の選手は世界選手権後、明らかにコンディションを落としており、これが事実上の決勝戦。中村の厳しい組み手に西田は自分の柔道ができず、中村の有効一つの優勢勝だったが、実力差が現れた試合内容だった。

2010年の初戦となった韓国でのワールドマスターズ2010(1月16日~17日)は今期から新設された最新世界ランキング16位以内の選手に優先出場権が与えられる大会。成人式に出席せず大会の準備に集中して臨んだ中村は準決勝まですべて押さえ込みで危なげなく決勝に勝ち上がった。決勝では西田を一本で破って勝ち上がってきたラウラ・ゴメス(スペイン)をこれまた押さえ込みで下し優勝。名実ともに世界ランキング1位の座を固めた。

続いて開催されたグランドスラム・パリ(2月6日~7日)は旧フランス国際以来、4年連続3位に終わってきた相性の良くない大会。しかし準決勝に勝ち上がった中村は、西田を破ってきたメリエン・マウッサ(モロッコ)を上四方、決勝ではカラスコサを縦四方で下し、大会初優勝。

東京での世界選手権出場を賭けた4月の全日本選抜柔道体重別選手権。中村は1回戦を背負投、準決勝を大内刈といずれも一本で危なげなく決勝へ。順当に西田との対戦となった決勝。今年度から世界選手権の出場権が1国2名になった為、この時点で実績的に群を抜く2人の代表選出がほぼ確定。よって決勝はこの時点での中村と西田の立ち位置を計る一戦となった。勝って中村との差を詰めたい西田だが、組み手が格段に強くなった中村が主導権を握り西田に隙を与えない。必然的に勝機を見いだせない西田に指導2が与えられ、中村は「負けない柔道」で優勢勝ち。国際大会の実績とともに現役最強の立場を守った。

昨年と開催時期が変更になったグランドスラム・リオデジャネイロ(5月22日~23日)。2回戦で初対戦となるラケウ・シウバ(ブラジル)に技有を先行される不覚を取ったものの残り13秒に指導3で辛くも逆転勝ち。その後は安定した試合ぶりで決勝も合わせ技で制し優勝。これで2009年グランプリ・ハンブルク以来国際大会7連勝となり、IJFの公式サイトで「負け方を忘れた中村」と評された。 また、今大会で優勝したことにより、IJFグランプリシリーズにおけるグランドスラム大会を全制覇した最初の選手となった。

7年ぶりの日本開催となった9月9日~12日の世界柔道選手権大会。今大会から各階級1国最大2枠となり(無差別級は4枠)、中村と西田が出場。危なげなく勝ち上がった中村は決勝で西田と対戦した。ここで負ければロンドン五輪代表争いで厳しくなる西田は必死に攻め、受けに回った印象の中村に指導が与えられる。しかしポイントなく延長に入り中村が攻勢に出て西田に指導。そのままタイムアップとなったが、最後の最後に技を出した印象の西田が旗3本で世界選手権初優勝。中村は準優勝に終わり、西田が五輪代表レースに土壇場で踏みとどまった。

講道館杯と同時期に開催された広州でのアジア大会に派遣された中村は北京五輪で苦杯を舐めた安琴愛(北朝鮮)と準決勝で対戦。先にすくい投げで技ありを取られるが、すぐに小内刈で技ありを奪い返し、その後GSにもつれこむも積極的に攻め続け3-0で判定勝ち。国際大会の参戦が少なく対戦が限られる安に対し、手ごたえをつかむ貴重な機会となった。続く決勝では、過去に何度も対戦しているモンゴルの選手をポイントで圧倒し最後は一本を決め優勝を飾ったが、右手親指を傷めグランドスラム東京を欠場することになった。

2011年の初戦は1月、世界ランキング上位選手が集まるワールドマスターズ。中村は最初の2戦を一本勝ち、準決勝もスペインのゴメスを合技で破り、決勝は西田との対戦。中村は体落で有効を取った後に崩上四方固を決め、オール一本勝ちでマスターズ2連覇を達成した。 ここまでの西田との対戦はいずれも反則ポイントや旗判定で勝負が決していたが、実に8度目の対戦にして初めて技による、しかも一本勝ちでの決着。両者の対戦は中村5勝vs西田3勝となった

2月にはグランドスラム・パリに出場して最初の2戦は順当に一本勝ちして勝ち上がるものの、準々決勝でフランスのプリシラ・ネト相手にやや苦戦して、GSに入ってから内股で有効を取られて敗れる。国際大会では2008年4月のアジア選手権以来、約3年ぶりにメダルなしに終わった。

4月2日~3日の全日本選抜柔道体重別選手権は西田がアジア選手権に派遣される為に欠場し、中村にとって足を掬われることが許されない大会となった。しかし、初戦を指導2で優勢勝ちすると、準決勝を寝技、決勝でもコマツの橋本優貴を崩上四方固で破って大会2連覇を成し遂げた。西田以外の選手との実力差を示し、世界選手権代表に選出された。

5月の全日本実業柔道団体対抗大会では、コマツの57kg級の宇高菜絵とは引き分けとなったが、自衛隊体育学校との対戦では、相武館吉田道場の先輩で57kg級の平井希に膝車で有効を取られて敗れた。

8月の世界選手権では3回戦で安琴愛と対戦して、先に指導1を取られるも指導1を取り返して延長戦に突入すると、大外刈で技ありを取って接戦に決着を付け、準々決勝ではクズティナを上四方固、準決勝でスペインのアナ・カラスコサに体落でそれぞれ一本勝ちして、決勝では前年に続く対戦となった西田に先に指導1を取られるが、その後は攻め込んで指導2を取り返して優勢勝ちを果たして、2年ぶり2度目の優勝を果たした。 一方、世界選手権の団体戦では2回戦のキューバ戦で48kg級時代から一度も負けたことがなかったベルモイに1-2の判定で敗れたものの、決勝のフランス戦では2月のグランドスラム・パリで敗れたネトに指導2を取って雪辱してチームに唯一の勝利をもたらした。

12月のグランドスラム・東京では、準々決勝でベルモイに有効を取られて再び敗れて5位に終わった。

2012年1月には ワールドマスターズに出場して、準決勝でベルギーのイルス・ヘイレンに一本勝ちするも、決勝で西田相手に先に攻め込まれて指導2を取られるが、後半は反撃に出て指導2を取り返して延長戦に突入するものの、背負投で一本負けを喫して2位に終わり、今大会3連覇はならなかった。

5月の体重別では、準決勝でコマツの橋本優貴を有効で破ると、決勝では西田を延長戦に入ってから横四方固で破り、長年のライバル対決に明確な形で決着を付けてロンドンオリンピック代表に選出された。

2012年7月29日のロンドンオリンピック柔道競技2日目の女子-52kg級に登場、2回戦からの登場となったが、北京オリンピック準決勝で敗れた安琴愛( 北朝鮮)の前に開始23秒で相手の谷落としを食らって技ありを取られた後、有効ポイントを奪い返したものの、劣勢を挽回出来ずに初戦で敗退し、メダル獲得も逸してしまった。

10月には3年前にケガをした左膝の治療のために長期療養することを明らかにした。2年後の世界選手権での国際舞台復帰を目標にしているという。

2013年11月にはロンドンオリンピック以来約1年3ヶ月ぶりの大会となる講道館杯に出場すると、決勝では帝京大学の志々目愛を指導3で破り、復帰戦を優勝で飾った。この試合で左膝を負傷したために、グランドスラム・東京2013への出場は見合わせることになった。

2014年2月にはロンドンオリンピック以来の国際大会であるグランドスラム・パリに出場するも、3回戦でクジュティナに指導2で敗れた。 4月の選抜体重別では、決勝で西田に有効を取られて敗れた。世界選手権代表にはなれなかったが、アジア大会代表にはなった。

7月のグランドスラム・チュメニでは決勝でロシアのユリア・リジョワを指導3で破って、2011年の世界選手権以来約3年ぶりとなる国際大会での優勝を飾った。また、今大会の優勝で5つの異なる都市で開催されたグランドスラム大会を制した初めての選手となった。

9月のアジア大会では決勝でトルクメニスタンのグルバダム・ババムラトワを小外刈で破ったのを始め、オール一本勝ちで大会2連覇を達成した。団体戦では決勝で韓国の鄭銀貞と対戦すると、技ありと有効を取って試合を優勢に進めながら、終了間際に絞め技で攻められた。参ったをせずに試合終了のブザーが鳴ったものの、ジュリーによる判断でブザー前に絞め落とされたとみなされて敗れてしまった。しかし、チームはその後4連勝して優勝を飾った。

12月のグランドスラム・東京では準決勝で橋本優貴に絞め落とされるも、3位決定戦でブラジルのエリカ・ミランダを合技で破って3位になった。

2015年2月にはグランプリ・デュッセルドルフに出場すると、準決勝までオール一本勝ちするものの、決勝で中国の馬英楠に指導1で敗れて2位にとどまった。

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