中後悠平の出身高校

中後悠平 プロ野球選手

中後悠平卒業高校
近畿大学附属新宮高校 偏差値 和歌山県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
3175位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1989年9月17日生まれ

中後 悠平(なかうしろ ゆうへい、1989年9月17日 - )は、大阪府泉南郡熊取町出身のプロ野球選手(投手)。

小学5年時に父が監督を務めるリトルリーグに双子の兄とともに入団し、本格的に野球を始める。中学では熊取北中学校の野球部ではなく貝塚シニアに所属し、3年時からサイドスローに挑戦。その理由は「何も特徴がないのでサイドに変えろといわれて」。

地元大阪を離れ、父の出身地である和歌山県新宮市の近大新宮高校に兄とともに進学。スポーツ進学コースの第1期生である。創部されたばかりの野球部の1期生であったが、2年夏からベンチ入り。3年時は和歌山県予選準々決勝で敗れ、甲子園出場は叶わなかった。

高校卒業後は近畿大学に進学し硬式野球部に入部すると、1年次の春から公式戦に出場。しかし初めの一年間は徹底的に下半身強化にあてた。

2年次の春には10試合中9試合に登板し3勝0敗、防御率1.47の好投で大会MVPを受賞。近畿大学の2季ぶりの優勝に大きく貢献した。2009年全日本大学野球選手権大会で全国大会デビューを果たし、対桐蔭横浜大学戦で1失点完投勝利を挙げた。夏に第25回アジア野球選手権大会の日本代表、秋には第37回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出。3試合に登板し、4回を被安打4、奪三振6、与四球1という成績だった。また11月22日に東京ドームにて開催された日本初の「プロと大学の選抜チーム同士による交流戦」であるU-26 NPB選抜 対 大学日本代表の大学日本代表にも選出されたが、この日の登板は無かった。

3年春のリーグ戦では8試合に登板し4勝2敗、防御率1.11で大会2位でベストナイン選出、秋のリーグ戦では7試合に登板し2勝3敗、防御率0.98で大会1位の成績を残した。また同年に開催された第5回世界大学野球選手権大会の日本代表に選出。3試合に登板し、打者11人に対して被安打1、4奪三振。

4年春のリーグ戦では8試合に登板し5勝3敗。防御率0.74は大会1位でベストナインに選出。続く秋のリーグ戦では10試合に登板し3勝4敗。防御率2.15とふるわないものの、奪三振数は72を記録。9月29日に連盟を通じてプロ志望届を提出した。

関西学生リーグでは50試合に登板し、通算成績19勝13敗、260奪三振、防御率1.48。日本学生野球協会・第44回「大学の部」にて表彰選手に選ばれた。

2011年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから2位指名を受け、11月21日に仮契約を結んだ。背番号は「16」。

ルーキーながら開幕一軍を勝ち取り、開幕カードの3月31日の東北楽天ゴールデンイーグルス(Kスタ宮城)でプロ入り初登板。8回裏で4-3、ロッテが1点リードで楽天の一死満塁という状況の中、1番・聖澤諒を142km/hの直球で三振に、2番・内村賢介を勝負球の124km/hのスライダーで空振り三振に切って取り、2者連続三振でピンチを取り抜けチームの勝利に貢献した。この内村を空振り三振させた中後のスライダーはあまりに急激な変化で、内村が空振りした後にそのままボールが右膝に当たってしまうという珍しい場面も見られた。この日、勝利チームのヒーローインタビューで初のお立ち台に立ち「ああいうところを任されるのは信頼されているからだと思って一生懸命投げました」と興奮気味に話しファンの声援に答えた。

4月22日の埼玉西武ライオンズ戦で8回表に3-4と1点ビバインドの場面で3番手投手として救援登板し、1回を無失点で終えると、その裏のロッテの攻撃で清田育宏の2点三塁打などで6-4と逆転し、そのまま勝利した為、中後にプロ初勝利がもたらされた。試合後のインタビューでは「ウイニングボールは、一番感謝している両親(オトン、オカン)にあげたい」とコメントを残した。契約更改では、前半戦の働きが評価され、150万円増の1650万円で更改した。

ケガの影響から、春季キャンプは二軍でスタート。開幕も二軍で迎えた。4月に一軍へ昇格するものの、打者9人に5四球と制球が安定せず、再び二軍へ降格。シーズン通算では、一軍公式戦5試合の登板に終わった。 シーズン終了後には、FA権の行使によって、埼玉西武ライオンズから涌井秀章投手が移籍。涌井が西武入団時の背番号でもある16を付けることを希望したため、背番号を13に変更した。

一軍公式戦には5試合に登板。通算4イニングで1敗を喫した。イースタン・リーグ公式戦でも、防御率4.27に終わった。

入団以来初めて一軍公式戦への登板機会がなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。なお、通告後の11月10日には、打者3人に対するシートバッティング形式の12球団合同トライアウト(草薙球場)に参加。ストレートで最速145km/hを計測したものの、2四球1死球という内容で終了した。

「千手観音投法」とも呼ばれる、スリークォーターやサイドスローなど腕の位置を多彩に使い分ける変則左腕。その投球スタイルから「和製ランディ・ジョンソン」とも称される。変則フォームにしたきっかけは中学時代に所属していたシニアの監督から勧められたため。しかし、その後何も教えてもらえず干されたため、自分で改良した。

最速151km/hのストレートと切れ味鋭いスライダーを武器とし、カーブ、チェンジアップ、スクリューと多彩な変化球を投げる。プロ入り後は「投球の割合は、ストレートが10パーセント、チェンジアップが1パーセント、残りの89パーセントはスライダー。スライダーは僕の生命線」と語っている。三振を奪う能力は高いが、一方で制球に苦しむ場面も見られる。

負けず嫌いな性格であり、ドラフトで2位指名された際には「1位指名されると思っていた」と語り、同年のドラフトで同じくロッテから1位指名された藤岡貴裕を引き合いに出し「何年か先には抜いて見せます」と抱負を述べた。

2012年1月、入寮に際して上京した際に電車を乗り間違え、東京駅から寮の最寄り駅である武蔵浦和駅までを、1本で行けるとは言え倍以上の時間を要する京葉線・武蔵野線経由という大回りをし、同じく関西から一緒に入団する益田直也とともに当初の予定より遅れて入寮することとなった。

姓の「中後」を「なかうしろ」と読む例は全国的にも少なく、大阪府内の電話帳では中後本人の実家1軒だけらしい。

近畿大学付属新宮高校の野球部第1期生で同部出身のプロ選手第1号。千葉ロッテマリーンズへの入団が決まってからは、アーム式のピッチングマシーンを同部へ寄付している。

家族揃って阪神タイガースのファンで、プロ入りの直後には「桧山進次郎(2013年引退)と対戦するのが夢」と語っていた。

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