七條祐樹の出身高校

七條祐樹 プロ野球選手

七條祐樹卒業高校
延岡工業高校 偏差値 宮崎県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
4112位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1984年7月10日生まれ

七條 祐樹(しちじょう ゆうき、1984年7月10日 - )は、宮崎県東臼杵郡北浦町(現:延岡市)出身の元プロ野球選手(投手)。

小学3年生から野球を始めた。宮崎県立延岡工業高等学校への進学後は、3年生春のセンバツに出場したが、2回戦で敗退。夏は県大会決勝で敗退。

高校在籍時からもプロの複数の球団が調査に動いたが、卒業後は日産自動車九州に入社。着実な成長を見せ、2006年にはJR九州の補強選手として第77回都市対抗野球に出場(登板機会はなし)、アマ日本代表候補にも選出されたが同年にひじを故障して登板機会が激減、さらに2009年に同チームの休部に伴い、同僚の星野雄大・原口翔と共に伯和ビクトリーズに移籍。

2010年は怪我の回復もあって復活。エースとして活躍し、チームの第81回都市対抗野球出場・大会初勝利に貢献した。

2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから2位指名を受けた。先発・リリーフどちらでも任される即戦力右腕として期待されての指名であった。

2011年は、開幕一軍入りが濃厚だったが右肩を痛めてしまい二軍スタートとなる。しかし、6月28日の対巨人戦(郡山)で一軍初登板初先発を果たし、7回を1失点、無四球に抑える好投で勝利投手となった。新人で対巨人戦に初登板初勝利は、チーム史上初の記録であった。その後、8月10日の広島東洋カープ戦まで球団新人の新記録である先発初登板からの4連勝を飾っている。 12月9日に、都内の病院にて左膝軟骨損傷に対する関節鏡手術を行った。

2012年は、6試合に先発し2勝3敗だった。

2013年は、リリーフとして30試合に登板し、7月7日の中日ドラゴンズ戦でプロ初セーブを挙げた。

2014年は、開幕を二軍で迎え、5月に一軍に昇格したもののリリーフで結果を残せず2試合で二軍落ち。9月に再昇格し、9月5日の読売ジャイアンツ戦に先発し、9回を2失点でプロ入り後初の完投勝利を挙げた。その試合のヒーローインタビューでは「先発出来ることが自分にとって光栄だったので、一球一球…」と言葉を発した後に声をつまらせ号泣し、その後もインタビューの受け答えが出来なかった。オフに100万円ダウンの1,600万円で契約を更改したが、本来の査定では150万円ダウンの1,550万円の予定であったが、前述のインタビューによる『感動手当』として50万円の増額となった。

2015年には、プロ入り後初めて、一軍公式戦への登板機会がなかった。イースタン・リーグ公式戦では、34試合の登板で、0勝1敗0S、防御率4.41でシーズンを終了。10月2日に球団から戦力外通告を受けたことを機に、現役を引退した。

2015年11月2日に、打撃投手としてヤクルトと契約した。

サイドスロー気味のスリー・クォーターが特徴の本格派右腕。ストレートは常時130km/h台後半から140km/h前半だが、勝負どころで最速149km/hを記録したことがあった。また、横、斜め、縦、3種類のスライダーとチェンジアップとカーブといった変化球が持ち味。ヤクルトへの入団後には、フォークボールも身に付けた。

愛称は「バカボン」「チリ紙王子」。2011年7月5日放送の『報道ステーション』(テレビ朝日制作)で七條を取り上げた際には、愛称の「バカボン」繋がりで、七條の紹介VTRのナレーターを「バカボンのパパ」の声優である富田耕生が務めた。

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