穴井隆将の出身高校

穴井隆将 スポーツ選手

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穴井 隆将(あない たかまさ 1984年8月5日 - )は、大分県大分市出身の柔道家。段位は四段。得意技は内股、大外刈。妹の穴井さやかも柔道家で、2008年の世界団体柔道には共に出場している。現在は天理大学柔道部の監督を務めている。

5歳の時に地元の秀鋭館道場で柔道を始めた。山中圏一(昭和40年リオデジャネイロ世界柔道選手権準優勝)の指導で、全国中学校柔道大会個人戦(78kg級)で優勝し、奈良県の天理高等学校へ進学。高校1年の頃から団体戦のレギュラーとしてエース級の活躍をし、高校2年の時にインターハイ個人戦(100kg級)で優勝した。天理高等学校卒業後は天理大学へ進学し、数々の学生タイトルや国内タイトルを獲得した。現在は天理大学職員を務める。

階級が100kg級であったため、井上康生、鈴木桂治の壁が厚く、なかなか破ることが出来なかった。そのため、長い間、世界柔道選手権やオリンピックの代表になれなかった。2009年2月にフランス国際柔道大会、ドイツ国際柔道大会を制した後、4月7日の全日本選抜柔道体重別選手権大会100kg級で優勝し、初の世界柔道選手権大会の代表の座を勝ち取った。4月29日の全日本柔道選手権では準々決勝では鈴木桂治に1本勝ちし、決勝では棟田康幸を判定で破り初優勝を果たした。初出場となった世界選手権では金メダル確実と言われながらも、準決勝で不覚をとり銅メダルに終わった。

2010年9月に東京で開催された世界選手権では、1,2回戦を一本勝ち、3回戦で指導3勝ちすると準々決勝でも終盤大外刈で一本勝ちを収め、続く準決勝ではキューバのオレイディス・デスパイネに裏投げで有効を奪われるも反撃して指導2を取り返してポイントで並び、GSに突入後に内股一本をきめ、決勝ではオランダのヘンク・グロルを攻め込み指導2(有効ポイント)を奪って優勢勝ち、優勝を果たした。 12月にはグランドスラム・東京でも優勝を飾る。

2011年8月にパリで開催された世界選手権では2連覇を目指したものの、3回戦で敗れメダルを獲得できずに終わった。

2012年5月の体重別ではオール一本勝ちで優勝を果たして、ロンドンオリンピック代表に選出された。8月2日のロンドンオリンピック柔道競技6日目の男子100kg級に出場、前評判では「もっとも金メダルに近い男」とされていたが、1回戦ではジェームズ・オースティン( イギリス)に優勢勝ちした。だが、2回戦では格下のルーカス・クラパレク( チェコ)に押え込みで一本負けで敗退してしまった。

11月には強化選手の辞退届を全柔連に提出して、第一線から退くことになった。ただ、全日本選手権の予選には出場の可能性があるという。

2013年4月からは天理大学柔道部副監督に就任するとともに、奈良教育大学大学院にも進学することになった。 現役最後の試合となった全日本選手権では、準々決勝で旭化成の百瀬優を指導3で下すと、準決勝ではJRAの石井竜太を開始僅か14秒の体落で一本勝ち、決勝でも日本大学の原沢久喜を指導2で破り、重量級の優勝候補を悉く退けて今大会4年ぶり2度目の優勝を飾った。

2013年8月には選手の意見を組織運営に反映させる目的で全柔連が新設した、アスリート委員会の委員に選出された。

2014年9月には東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が設置したアスリート委員会の委員に選定された。

(参考資料:ベースボールマガジン社発行の近代柔道バックナンバー、JudoInside.com等)。

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