福田衣里子の出身高校

福田衣里子 議員

福田衣里子卒業高校
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性別
女性
生年月日
1980年10月30日生まれ

福田 衣里子(ふくだ えりこ、1980年10月30日 - )は、日本の元政治家。元衆議院議員(1期)。

薬害肝炎九州訴訟原告団代表、厚生労働省「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」委員を務めた。

1980年10月30日、長崎県長崎市に3人兄弟の末っ子として生まれる。幼少時代は父の仕事の関係でロンドンに在住していた。

1999年、長崎県立長崎西高等学校では空手部に所属するなど、スポーツに明け暮れていた。ちなみに空手は黒帯初段である。高校卒業後、母親の郷里にある広島修道大学人文学部人間関係学科心理学専攻に入学。学内の学生食堂でアルバイトをしていた経験もある。しかし「学ぶ意義が分からなくなった」と大学を休学し、3か月あまり単身でフランスに旅行した。この旅行でパンに感動し、パン屋開業の夢を抱き、帰国後は大学のある広島ではなく長崎のパン屋で「修行」をはじめた。 2010年、広島修道大学同窓会の同窓会員規定を充たしていることから、同窓会員に名を連ねることとなった。

2001年、国会では肝炎問題の追及が行われており、厚生労働省は血液製剤を血友病以外の患者に投与した可能性のある医療機関名を公表したばかりであった。このリストの中に福田が出生時に血液製剤を投与された病院があったため、両親にすすめられて4月に検査を受けたところ、C型肝炎ウイルスへの感染が判明した。翌2002年に大学を中退し、インターフェロン治療を開始した。

2004年4月に実名を公表し、薬害肝炎九州訴訟の原告となる。当初の裁判では原告団のごく一部しか訴訟が認められなかったが、講演活動の他、各種メディアに登場するなどして精力的な活動を続け、原告団全員に訴訟が認められるようになった 。

薬害肝炎の問題に携わっていく中で2006年ごろ、「悪しき政治によって命が奪われることはあるが、政治が正しく機能すれば多くの命が救える。それこそが政治の本来の使命だ」と思い、政治に関心を持ち始めた。

この間、二度目のインターフェロン治療を行い、ウィルス反応は陰性となり、経過観察の結果、肝炎は完治して飲酒が可能な状態にまでなった。

山田正彦から打診があったことがきっかけとして、2008年9月18日、民主党の小沢一郎より第45回衆院選への出馬要請を受け、これを受諾。長崎2区に民主党公認候補として出馬する事が決定し、長崎市内で記者会見を開く。

薬害肝炎訴訟の原告に対する肝炎基本対策法案は2009年に民主党の審議拒否で廃案になったが、福田はこれを容認する発言(法案に国の責任を明記しなかった当時の与党自民党への不満など)を自身のブログにて行った。薬害肝炎の原告団はこの審議拒否について抗議声明を発表している。

2009年8月30日、第45回衆院選に長崎2区より出馬。薬害肝炎被害者としての自らの経験から、「『命』を奪うのも政治なら『命』を救うのも政治」と主張。自由民主党公認の久間章生から議席を奪い、28歳の若さで初当選(一部報道では「エリのクマ退治」とも言われた[7])。小沢ガールズと報道される。久間は重複立候補した比例代表でも復活できなかった。

同年11月30日、鳩山内閣の下で、第173回国会において肝炎対策基本法(C型に限らず、全ての肝炎患者が救済の対象)が成立した。[8]

2010年2月21日の長崎県知事選において、民主党・社会民主党・国民新党の3党が推薦した橋本剛を全面的に応援したが、橋本は前長崎県副知事の中村法道に9万票超の大差で敗れた。

同年7月の第22回参議院議員通常選挙でも、民主党公認の犬塚直史の応援に奔走。対抗馬の元長崎県知事・金子原二郎について「参院は知事の再就職先ではありません!」などと激しい批判を展開したが、犬塚は金子に大差で敗れた。

2010年に「民主党青年局」事務局次長に就任。2010年9月民主党代表選挙では小沢一郎を支持した。

2011年に「民主党国際局」副局長に就任。同年6月7日、民主党幹事長補佐に就任[9]。

2012年、内閣総理大臣の野田佳彦が消費税増税などを含む社会保障・税一体改革関連法案の提出を表明した際には、法案の内容を批判し[注釈 1]、衆議院本会議における社会保障と税の一体改革関連法案の採決では反対票を投じた。その結果、民主党執行部から党員資格停止2カ月の処分を受けたほか、当選以来ずっと所属してきた厚生労働委員会を外され、沖縄及び北方問題に関する特別委員会に変更になった。

同年7月6日、消費増税関連法案の衆院採決で造反し党に残った当選1回の衆院議員12人と共に、政策研究会「真の一体改革を実現する一期生の会(略称、真実の会)」を結成し、代表世話人の一人となった[10]。

同年8月10日、消費税増税法の成立を受け、真実の会として国会内で記者会見を行い、同年9月の民主党代表選で、現職の野田に対抗する独自候補の擁立に乗り出す意向を明らかにした。また、消費税増税法の成立について「極めて遺憾」などとした声明文を発表した。同声明文には、衆院議員20人に加え、参院議員3人(計23人)が名前を連ねた。

同年8月29日、「カネミ油症被害者の救済法案を実現する議員連盟」の発起人として関与してきた「カネミ油症被害者救済法」、民主党動物愛護対策ワーキングチームや動物愛護法改正議員連盟等で取り組んできた「改正動物愛護管理法」が共に成立。

同年10月18日、衆議院厚生労働委員会の理事に就任[11]。

同年10月24日、不適切な使用が問題となっている復興予算を仕分けする「復興予算奪還プロジェクト」をメンバー(与野党の議員17人が参加)の一人として発足させ、会見を行った。その会見では「予算を付けた政府・与党の精査では甘くなる」と、外部の点検の意義を語っている[12]。

同年10月30日、民主党総務委員会副委員長、政策調査会政調会長補佐に就任[13]。

同年11月16日、衆議院解散と共に民主党を離党し、みどりの風へ合流した[14]。なお、みどりの風は、滋賀県知事の嘉田由紀子が卒原発を旗印に結成した「日本未来の党」(以下、未来の党)に福田を含む党所属の衆議院議員3名を合流させる方針を示したため、2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では未来の党から[15]、比例近畿ブロック単独で(第14位)立候補したが落選した[16][17]。

落選後、政界を引退した。同僚議員たちともなじめず、苦労したとのこと[18]。

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