椎名誠の出身高校

椎名誠 その他

椎名誠卒業高校
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67位 / 179人中 その他別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1944年6月14日生まれ

椎名 誠(しいな まこと、1944年6月14日 - )は日本の作家、SF作家、エッセイスト、写真家、映画監督。本名、渡辺 誠(わたなべ まこと)。旧姓、椎名。結婚したときに妻の渡辺一枝の姓に合わせ、渡辺姓となった。

一枝もエッセイストで、チベットについての本など、多数の著書がある。息子の渡辺岳は元ボクサーで、現在は写真家。娘の渡辺葉は翻訳家でエッセイスト。

1944年、東京都世田谷区三軒茶屋に5人兄弟の三男として生まれる。父親は公認会計士。1950年より千葉県印旛郡酒々井町と千葉市幕張に転居。

読書が好きで、SFやナチュラリズム系の本、海外旅行記などを好んで読んだ。また映画少年でもあり、小学生時代から高校時代に掛けてカメラ小僧であった。

1956年、父が死去。翌年に中学校入学。「父親が死ぬとグレなければならないという奇妙な使命感」から不良を目指し始める。中学時代は喧嘩に明け暮れる。1960年、中学校を卒業し千葉市立千葉高等学校に入学。

1963年、千葉市立千葉高等学校卒業。同人誌『幕張じゃーなる』創刊。

1964年、東京写真大学(現・東京工芸大学)に入学。同人誌『斜めの世界』創刊。

1965年、友人の車に同乗中の事故により重傷を負う。東京写真大学を中途退学。代々木の演劇学校に脚本の勉強に通う。同人誌『フモリスト』創刊。

1966年、流通業界の専門誌『ストアーズレポート』を刊行しているデパートニューズ社(現・ストアーズ社)に入社。この時、入社させてくれたのが、後に爬虫類研究家として有名になる、高田榮一だったという。デパート業界を対象とした業界誌『調査月報』の編集を任せられる。

1968年、渡辺一枝と結婚、東京都小平市に転居。ガリ版誌『月刊おれの足』創刊。沢野ひとし・木村晋介ら仲間と「東日本何でもケトばす会」、通称東ケト会を設立。以降盛んに、島などに旅して、海岸でキャンプテントを張り、自炊をして宴会した。その活動は、1980年に『わしらは怪しい探険隊』と題して出版し、シリーズ化された。

1969年、デパートニューズ社より『ストアーズレポート』を創刊。編集長に就任。

1974年、8ミリにてドキュメンタリー作品『神島でいかにしてめしを喰ったか…』を製作。小金井市の8ミリ同好会に参加し、8ミリ映画の製作にのめり込む。

1976年、『本の雑誌』創刊号発行。デパートニューズ社勤務中、同僚の目黒考二、菊池仁らと発行(第2号から2011年まで編集長)した。誌上での椎名の「面白文体」の文章が評判となる。

1977年、『本の雑誌』5号の巻頭エッセイとして「さらば国分寺書店のオババ』を執筆。7月、同誌の編集権が目黒考二から椎名に移る。

1977年ごろ、『本の雑誌』の経費を稼ぐために、「エロ漫画の原作」のアルバイトを目黒と共同で行っていた。椎名がストーリーを考え、目黒が台本化する形式で、月4、5本は書いていたという。

1979年、『さらば国分寺書店のオババ』でエッセイストとしてデビューする。その軽快で口語調の文体は嵐山光三郎らの文体とともに昭和軽薄体と呼ばれ、一躍マスコミの寵児となる。ただし、椎名自体はこの現象を快く思っていなかったらしく、八十年代に発表された「さらば昭和軽薄体」というエッセイの中でこの文体からの脱却を宣言している。

1980年、7月に株式会社本の雑誌社を設立。12月、ストアーズ社を退職しフリーになる。その後は私小説、SF小説、エッセイ、ルポルタージュ、写真集などを多数発表。

1987年、株式会社椎名誠事務所設立。

1989年、『犬の系譜』で第10回吉川英治文学新人賞受賞。

1990年、『アド・バード』で第11回日本SF大賞受賞。映画『ガクの冒険』公開。

1991年、映画製作会社ホネ・フィルム設立。

1992年、長良川河口堰反対カヌーデモに参加。

1993年、映画『あひるのうたがきこえてくるよ』で第10回山路ふみ子映画文化賞受賞。

1996年、映画『白い馬』で日本映画批評家大賞最優秀監督賞、95年度JRA賞馬事文化賞を受賞。

1997年、映画「白い馬」でフランス・ボーヴェ映画祭グランプリ受賞、ポーランド子ども映画祭特別賞受賞。

『週刊金曜日』の編集委員も務めたが、連載を担当していたほかは実質的な仕事をしていないとしており、表紙写真の担当を降りたことから2007年12月14日号を最後に退任。

2005年3月、「マガジン9条」発起人となった。

2011年8月からネット・ミュージアム「椎名誠 旅する文学館」が開館。

文筆活動以外には、辺境の地への冒険をライフワークとし、ドキュメンタリー番組によく出演するほか、旅先での写真を多数発表。また本好きの習性として、旅先にも大量の本を持参して読了している。“活字中毒”を自称している。

山形で「やまがた林間学校」の、徳島で「川の学校」の講師もつとめた。

非常に酒好きで特にビールを好む。自身のエッセーには酒に纏わる記述や二日酔いの記述がしばし登場する。著書である怪しい探検隊シリーズの中では、酒盛りの直後に車で温泉に浸かりに行くなど飲酒運転の描写も時折見られる。

格闘技、プロレスなども好み、柔道も2段であり、また、マーシャル・アーツなども愛好する。 現在でも腕立て伏せ100回、腹筋200回、ヒンズースクワット300回、または腕立て200回、腹筋200回、スクワット200回を15分程度かけて行うことを日課にしている。時にはこれを2セット30分行うこともある。

中学生のとき、1枚の写真に出会った。兄が購読していた写真雑誌「アサヒカメラ」の1ページだった。陽のあたる農家の縁側で竹のような籠「いづめ」に入れられてゆったり眠っている赤ちゃんの写真に心が奪われた。このいづめに赤ちゃんを入れてあげた親の心の温かさがその1枚の写真から伝わってきた。ふいに今いる、がさつに閉塞した空間にそうそういつまでも付き合っていなくていいのだと気付き、気持ちを切り換えて、じわじわとその狭い世界から脱出していくように努力した。思いがけない「写真の力」を初めて感じ、写真との関係が密接になっていき、「いつしか将来は写真を仕事としたいと思うようになった」という。

写真と文章とを収録した著書は多数あり、写真雑誌『アサヒカメラ』の連載などを受け持っている。

デビュー前から8ミリ、16ミリでの自主制作映画を撮っていた。本人曰く「見るより撮るのが好きな映画好き」。デビュー後に映像プロダクション「ホネ・フィルム」を読売広告社の岩切靖治(木村晋介の高校の同級生)と設立。国内外の辺境地域を舞台とした映画を監督した(現在、ホネ・フィルムは解散)。

弁護士の木村晋介は親友であり、妻の渡辺一枝は木村の高校時代の友人である。イラストレーターの沢野ひとしは高校時代の同級生。高校卒業後に、江戸川区小岩のアパート克美荘で、沢野・木村らと共同生活をした。

また、新宿で居酒屋「池林房」などを経営し、椎名と交友が深い太田篤哉(椎名の著書には「太田トクヤ」として登場)が、2003年に新宿にビルを建てた際、仲間と資金を出し合ってその屋上にモンゴルのゲルを建設した(ゲルは、その後、台風により倒壊した)。

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