平沢勝栄の出身高校

平沢勝栄 議員

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生年月日
1945年9月4日生まれ

平沢 勝栄(ひらさわ かつえい、1945年9月4日 - )は、日本の政治家、元警察官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)。

岐阜県白川村生まれ。のちに父親の仕事の都合により福島県に転居。福島県立福島高等学校、東京大学法学部卒業(同級生に白川勝彦、早川忠孝)。1968年、東大法学部を卒業し警察庁に入庁。

入庁後15年ほどは、警察庁警備局外事課、在外研修(米国デューク大学修士課程修了)、福岡県警察本部警備部外事課長、警察庁警備局公安第三課兼外事課長補佐(国際テロ対策課の前身)、外務省在英国日本国大使館一等書記官などを経験し、外事警察を歩んだ。その後、防犯警察に転じ、刑事局保安部保安課長、警視庁防犯部長を歴任。岡山県警察本部長、警察庁長官官房審議官、防衛庁長官官房防衛審議官、内閣官房長官秘書官を歴任する。

1996年、第41回衆議院議員総選挙に東京17区から自由民主党公認で出馬し、新進党(旧公明党系)の山口那津男を破り、初当選。出馬の際、面識のあった公明代表の藤井富雄から選挙区の変更か比例区への転出を要求されたが拒否。後藤田正晴の勧めもあり、初当選後は平成研究会に所属した。第42回衆議院議員総選挙では、東京17区から共に与党に所属している自民党の平沢、公明党の山口が出馬し、「与党対決」が全国的に注目を集めたが、再度山口を下し、再選。当選後、平成研究会を退会した。2001年、第1次小泉内閣で防衛庁長官政務官、2003年の第1次小泉再改造内閣で総務大臣政務官に就任した。2003年自由民主党総裁選挙では、高村正彦の推薦人に名を連ねる。同年の第43回衆議院議員総選挙で、東京17区で民主党の錦織淳を破り、3選。翌2004年、山崎派に入会した。

第44回衆議院議員総選挙では、東京17区で再度錦織を破り、4選。総選挙後、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長に就任。2006年2月、民主党の永田寿康の国会質疑をきっかけに起こった堀江メール問題では、問題のメールを入手し、メールの正当性を否定するコメントをマスコミに発表している(事実、そのメールは偽物であり、永田は議員辞職し、前原誠司は民主党代表を辞任した)。2006年9月、安倍内閣で内閣府副大臣に就任。翌2007年の第21回参議院議員通常選挙では、東京都選挙区から出馬した自民党新人の丸川珠代の選挙対策本部長を務めたが、自民党への逆風により、丸川に代わり保坂三蔵が落選した。

2007年12月、日朝国交正常化を目指す議員連盟「自民党朝鮮半島問題小委員会」を立ち上げ、同会の幹事に就任。2008年には「パチンコ業界の位置づけを真剣に考えていく」ために、自民党内に「遊技業等の営業の健全化に関するプロジェクト会議」を立ち上げた。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では、東京17区で5選した。この際、民主党の早川久美子に比例復活を許した(東京17区で次点以下の候補が比例復活するのは初めて)。東京都の25の小選挙区で、東京17区は唯一民主党の候補が敗北した選挙区である。直後に2009年自由民主党総裁選挙で河野太郎を支援。

2012年、第46回衆議院議員総選挙では東京17区から出馬し、早川らを下して6選。

2014年、下呂温泉合掌村の名誉村長になる。同年12月、第47回衆議院議員総選挙では東京17区から出馬し、7選。

北朝鮮による日本人拉致問題に関し、拉致議連には草創期から関わっていた。2004年4月、山崎拓が極秘に訪中し、拉致問題について北朝鮮高官を相手に直接交渉した際、山崎に同行した。山崎・平沢の訪中は対北朝鮮交渉を政府間ルートに一本化するとの外交方針に反する可能性があるとして問題視された。平沢については、総務大臣政務官在任中であること、事前の届出無しに訪中したことが政府・与党内でも批判された。

平沢は総務大臣政務官、拉致議連事務局長を辞任した。拉致議連は、平沢の行動が「自らの功名のために拉致問題を利用する背信的行為」に当たるとの非難声明を出した。また、救う会も山崎・平沢の行動を「拉致問題を政治利用している」と非難した。

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