岩嵜翔の出身高校

岩嵜翔 プロ野球選手

岩嵜翔卒業高校
船橋市立船橋高校 偏差値 千葉県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
2858位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1989年10月21日生まれ

岩嵜 翔(いわさき しょう、1989年10月21日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。

高根小2年のときホワイトビーストロングで投手兼遊撃手として野球を始め、高根中1年からは投手に専念。

市立船橋高校では1年秋からベンチ入りし、山崎正貴との二枚看板で活躍。高校3年夏の千葉県予選準々決勝鎌ヶ谷戦では7回コールドの参考記録ながら無安打無失点。甲子園に出場するが、初戦敗退に終わった。

2007年の高校生ドラフトで福岡ソフトバンクホークスと中日ドラゴンズが外れ1位で競合し、ソフトバンクが交渉権獲得。契約金7000万円、年俸700万円(いずれも推定)で仮契約した。

7月23日に一軍に昇格すると、同日の対オリックス・バファローズ戦でプロ入り初登板・初先発を果たし、小久保裕紀の二塁打で先制点を貰ったが3回に捕まり3失点し降板となった。なお打線の奮起により負けは付かなかった。7月25日二軍降格となり同年の一軍登板はこの1試合に止まった。 二軍では12試合で防御率1.93、先発9試合で5勝2敗という成績を残しウエスタン・リーグ優勝に貢献してオフに優秀選手賞を受賞した。 10月4日に長崎県営野球場で行われたファーム日本選手権では東京ヤクルトスワローズを相手に9回を5安打1失点に抑える完投勝利をあげ胴上げ投手となり、同選手権の最優秀選手賞を獲得した。高卒ルーキーでは1998年の五十嵐亮太(ヤクルト)以来2人目となる受賞だった[7]。

9月30日に昇格し、同日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で先発し4回1/3で5失点で敗戦投手。10月1日に二軍降格となりシーズンを終えた。

3月30日に一軍登録されると、3月31日の対埼玉西武ライオンズ戦で7回4点ビハインドからプロ入り初の中継ぎ登板を果たし、7回は3者凡退に抑えたが、8回に先頭石井義人のライト前ヒットを多村仁志が取り損ねてエラーで二塁へ進塁させると、浅村栄斗の二塁打、栗山巧の安打で点差を広げてしまい、4月2日に二軍降格となった。5月3日の対オリックス戦で先発し、5回1点リードで降板したが、甲藤啓介が6回に同点に追いつかれた。最終的に一軍で5度先発したが0勝3敗と振るわなかった。二軍では防御率3.27(リーグ3位)、81奪三振(リーグ2位)と力を見せた。

オフには大場翔太とともにプエルトリコのウィンターリーグへ派遣され、10月27日から12月21日までの期間に10試合登板(先発9試合)して53回2/3を投げ、リーグ最多勝となる8勝1敗、防御率3.19、WHIP1.23だった[8]。リーグ第4週にはESPN Deportesの選出する週間MVPを受賞し、レギュラーシーズン終了後には2001年の伊良部秀輝以来日本人史上2人目となる最優秀投手賞と右投手ベストナインを受賞した。

開幕ローテーション6枚目に抜擢され4月17日対西武戦で先発し、5回まで1失点と好投、6回に先頭の中村剛也にレフトへソロホームランを打たれ、二死一三塁としたところで4点リードで降板すると、後続が徐々に追いつかれ9回1点リードで馬原孝浩が佐藤友亮に同点のソロホームランを浴びまたも初白星とはならなかった。翌日4月18日に二軍へ降格され、5月5日に再び一軍に戻り対楽天戦で先発し7回を3失点。翌週本拠地福岡 Yahoo! JAPANドームで行われた5月13日の対埼玉西武ライオンズ戦に再び先発し、6回を2失点に抑えて苦節4年目で悲願のプロ入り初勝利となった。

5月23日対ヤクルト戦では5回降雨コールドながら無失点でプロ初完投を挙げた(勝敗は付かず)。7月28日の対楽天戦で先発し、9回を被安打8与四球2奪三振0で初完封勝利を挙げた。なお、奪三振ゼロでの完封勝利は、1995年7月4日のキップ・グロス(当時日本ハム)以来、16年ぶりであり、日本人では1956年5月3日の大脇照夫(当時国鉄・無安打完封も達成)以来、55年ぶりである。 チームが連覇を決めた10月1日の対西武戦では7回を3安打無失点に抑え、6回に福田のセンター前タイムリー、明石健志のタイムリースリーベースで勝ち越すと、後を継いだブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩が完封リレーで守り勝利投手になった。

CSファイナルステージはベンチ入りできず、日本シリーズでは第1戦から第5戦までベンチ入りしたものの登板機会は無かった。11月25日から台湾で開催されたアジアシリーズでは11月27日に桃園国際野球場にて行われた対パース・ヒート戦で先発し、2回を2安打無失点に抑えたものの、決勝での登板を予定していた攝津正が肩の張りを訴えたため、代役に抜擢され31球で降板した[7]。11月29日に迎えた台中インターコンチネンタル野球場でのサムスン・ライオンズとの決勝戦に中1日で先発4回1/3で5失点(自責3)で敗戦投手となった[8]。

オープン戦で絶好調で3試合に登板して13イニングを無失点[9]、3月31日の開幕第2戦の先発に抜擢されると、7試合連続でクオリティ・スタートを達成した。右肩手術の馬原孝浩の代理で守護神となっていたブライアン・ファルケンボーグが5月18日に強い右肩の張りを訴えて抹消[10]、され中継ぎの再編が行われたが、岡島秀樹、森福允彦へと繋ぐリリーフが定まらず、6月3日まで3勝6敗と勝ち運に恵まれず先発で3連続ノックアウトされていた岩嵜に白羽の矢が立った。6月10日の対阪神戦7回2点リードから登板すると6者連続の凡退で2回無失点に抑え、プロ入り初ホールドを記録。6月13日の対中日ドラゴンズ戦も8回1点リードから3者凡退に抑え連続ホールドとなった。交流戦が終了すると6月26日に再び先発に戻され、4試合先発するが1勝2敗と負け越し再びリリーフ転向。8月10日から2度先発するも2連敗、9月18日の対西武戦、4四死球と不安定な先発二保旭に代わり4回2点リードから登板し、3イニングを無失点に抑えてプロ入り初の救援勝利を手にした。先発と中継ぎで登板しチーム4位となる120回1/3を投げシーズンを終えた。自己最多となる先発での16登板を果たしたが4勝10敗で防御率3.88、中継ぎでは13試合に登板し1勝0敗3ホールドで防御率0.36だった。

クライマックスシリーズファーストステージは10月14日第2戦に8回8点ビハインドから登板して1回無失点、10月15日第3戦は6回1点リードから登板し2回を無失点に抑えてホールドを記録し、ファイナルステージ進出に貢献した。クライマックスシリーズ3登板で6回1/3を投げ3安打1失点、防御率1.42だった。

和田毅が着用していた背番号「21」を受け継いだ。開幕を一軍で迎え、7回を任されるセットアッパーとして起用された。3月29日の開幕戦(対楽天戦)で7回1点リードから登板して三者連続三振で1ホールド目を記録すると、4月19日まで11試合連続無失点と好投。5月3日対西武戦9回1点リードでクローザーとして初起用されたが同点タイムリーヒットを打たれて初のセーブ失敗となった。続く10回は走者を出しながらも同点のまま踏ん張り、チームは延長11回に長谷川勇也のサヨナラ打で勝利した。先発が早いイニングに降板してしまう試合が多かったチーム事情から、4月途中から8回を任されていたが右肘痛を発症し、5月4日に一軍登録抹消[11]。5月29日東京ドームで行われた対読売ジャイアンツ戦では9回1点リードから登板し3者凡退に抑えてプロ入り初セーブも記録した。6月5日に2セーブ目を挙げたものの、6月8日の対中日戦で同点タイムリーによりセーブ失敗し勝ちパターンから外された。6月9日から6試合連続無失点を記録したものの、6月26日に救援失敗、続く7月1日も3失点を喫し、先発投手陣が不調だった事から7月10日から8月11日まで5試合連続で再び先発起用されたが0勝4敗で防御率6.85と振るわなかった[12]。8月13日から再び中継ぎに戻ると、3試合連続で自責点を記録し、9月7日は1アウトも取れずに降板。オフにはドミニカ共和国のウィンターリーグへ派遣され、10月30日から12月12日までの期間に7試合先発登板して33回2/3を投げ、2勝1敗、防御率3.74、WHIP1.07だった[9][10]。

5月15日に一軍昇格すると同日のQVCマリンフィールドで行われた対ロッテ戦で先発、8回7安打1失点と好投し、高校時代から一度も勝ったことのなかったライバル唐川侑己に初勝利、故郷の千葉県でも初勝利となった[13]。8月の28日まで9試合先発し4勝1敗、防御率3.83だったが、柳瀬明宏の右肘炎症による抹消や森福允彦、金無英の不調とも重なりチーム事情から9月2日以降は僅差で登板する中継ぎへと配置転換された。10月4日のファーム選手権で6回1点リードで登板して3者凡退に抑えたが、続く7回先頭青松敬鎔のサードゴロを亀澤恭平がファンブルエラーし、二死一二塁とした所で加藤翔平に同点タイムリーを打たれて救援失敗しチームは敗戦[11]。CSファイナルステージでは10月16日、10月19日に登板、日本シリーズでは10月25日に登板し、いずれもビハインドからの中継ぎだったが3試合無失点だった。

10月3日、ファーム日本一で2度目MVPに輝く[14]。 11月14日、和田毅の復帰に伴い、17に背番号を変更した。[15]。

スリークォーターからリリーフ時には平均球速146km/h[16]、最速154km/hを記録した速球[17]とスライダー、フォークを軸とし、スローカーブやチェンジアップも混ぜる。もともとはオーバースローであったが、高校入学後サイドスローに転向。高校3年春にスリークォーターに再転向すると球速が伸び、甲子園では最速150km/hを記録した。

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