岡野弘子の出身高校

岡野弘子 スポーツ選手

岡野弘子卒業高校
大阪国際滝井高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
1789位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
性別
女性
血液型
A型

岡野 弘子(おかの ひろこ、女性、1976年5月25日 - )は、日本の元バレーボール選手である。ニックネームはヒロ。元プレミアリーグ・岡山シーガルズに所属していた。

父親が転勤族の一家の次女として愛媛県で生まれ、その後金沢市に移住した。小学3年次に実姉がバレーボールをやりたいと言いだし、両親はバレーボールチーム(南小立野スポーツ少年団)を作り、監督・コーチとなった。弘子もごく自然のなりゆきでバレーボールを始める。富山を経て、大阪府高槻市に転居。

高槻二中ではエースアタッカーだったが、帝国女子高校監督(当時)の河本昭義に指導を受ける機会を得、河本からセッター転向を勧められる。勧めに応じるまま、大阪国際滝井高校(帝国女子高校から校名変更)入学後にセッターとなり、春高バレーで主将兼セッターとして優勝に貢献した。

高校卒業後は、河本が監督として移籍していたVリーグの東芝シーガルズ(当時)に入部。1999年東芝休部に伴い、クラブチームとなったシーガルズへ移籍。さまざまな苦労を高校同期の森和代とともに乗り越えて、次第にシーガルズをVリーグ中位のチームへとのし上げていった。

2008年4月、Vリーグ出場試合が251試合となり、2007年にリーグ40回大会を記念し創設された『Vリーグ特別表彰制度』の表彰基準を達成したため、長期活躍選手として特別表彰された。

2009年4月、全日本女子代表メンバーに登録され、バレーボール・ワールドグランプリで代表デビュー。2011年度よりチーム主将を務めた。 2013年5月4日、黒鷲旗全日本選抜大会の準々決勝でチームが敗退した直後、この試合を最後に現役引退することを発表した。Vリーグ歴代2位となる363試合に出場した。

1999年からのVリーグ及びVプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り。

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