塚田真希の出身高校

塚田真希 スポーツ選手

塚田真希卒業高校
土浦日本大学高校 偏差値 茨城県高校偏差値ランキング
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478位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
血液型
A型

塚田 真希(つかだ まき 1982年1月5日 - )は、茨城県下妻市出身の女性柔道家。土浦日大高校を経て東海大学卒業。綜合警備保障教育・訓練部所属。2004年アテネオリンピック柔道女子78kg超級金メダリスト。身長170cm。体重は125kg。血液型はA型。得意技は大外刈り。段位は四段。ニックネームはツマキ、つかちゃん。

絵を描くことが好きだったこともあり、下妻中学に入学すると初めは美術部に入部するつもりだったものの、先輩に柔道部に誘われたことがきっかけで柔道を始めることになった。しかし、中学時代は県予選の3位になった程度であった。

土浦日大高校に入学すると寮生活を送りながら本格的な稽古に取り組むことになったが、1年の時には厳しい上下関係や、上級生に「あんたみたいな弱い相手とは練習してあげない」などと暴言を浴びせられたことで精神的に参ってしまい、実家に3週間ほど逃げ帰っていたことがあったものの、気持ちを持ち直して再び稽古に取り組むと、全国高校選手権78kg超級では1年の時に3位、2年の時にはオール一本勝ちで優勝するまでになった。さらに、国体少年女子の部では茨城を2年連続優勝に導いた。また、3年の時にはフランスジュニア国際で優勝すると、金鷲旗の決勝では埼玉栄高校を3人抜きしてチームに初の優勝をもたらした。さらに、全日本ジュニアでも優勝を果たした。初めてのシニアの国際大会となった福岡国際では無差別に出場したものの5位に終わった。

2000年4月には東海大学に入学すると、フランスジュニア国際では2連覇を飾った。6月の学生優勝大会では早くもチームの優勝に貢献することとなった。さらに、9月の全日本ジュニアで2連覇を達成すると、10月の世界ジュニアでも優勝を飾った。学生体重別と11月の全国女子柔道体重別選手権大会では決勝で筑波大学の薪谷翠に敗れて2位にとどまった。12月の福岡国際では78kg超級で5位だったものの、無差別ではキューバのダイマ・ベルトランに注意で敗れたものの2位となった。

2001年2月のオーストリア国際でシニアの国際大会初優勝を飾った。4月の体重別と全日本女子選手権では大阪府警の山下まゆみに判定で敗れて3位だった。6月の学生優勝大会では3位だった。8月に北京で開催されたユニバーシアードでは決勝で地元中国の袁華に敗れて2位だったものの、10月の学生体重別では薪谷を破って初優勝を成し遂げた。12月の福岡国際では78kg超級の初戦で敗れると、無差別では5位にとどまった。

2002年4月の体重別では昨年に続いて山下に判定で敗れて3位だったものの、全日本女子選手権の決勝では前年のチャンピオンである薪谷に2-1の微妙な判定ながら勝利して初優勝を果たした。6月の学生体重別では昨年に続いて薪谷を破って2連覇を飾った。10月に釜山で開催されたアジア大会無差別では決勝で佟文に横四方固で敗れて2位に終わった。続く学生優勝大会では2位だった。12月の福岡国際では78kg超級で3位になると、無差別では中国の買雪英に注意で敗れて2位だった。

2003年2月のドイツ国際をオール一本勝ちで制すと、4月の体重別決勝でもコマツの徳田美由樹を大外刈で破って初優勝を果たした。続く全日本選手権では決勝で帝京大学の近藤悦子を袈裟固で破って2連覇を達成して世界選手権代表に選出された。さらに、6月の学生優勝大会でもチームに優勝をもたらした。9月に大阪で開催された世界選手権では準決勝でベルトランを合技で破るなどオール一本勝ちで勝ち進むが、決勝で中国の孫福明に背負投で敗れた。12月の福岡国際では78kg超級で3位だったものの、無差別ではオール一本勝ちして今大会初優勝を飾った。

2004年2月のフランス国際では3位だった。その後大学を卒業して綜合警備保障所属となった。4月の体重別と全日本選手権の決勝ではミキハウスの薪谷を効果と横四方固で立て続けに破って、アテネオリンピック代表に選出された。8月のアテネオリンピックでは準決勝でロシアのテア・ドングサシビリを合技で破ると、決勝では最大の強敵と見なされていた孫福明を準決勝において谷落で破ったベルトランとの対戦となり、先に大外刈で技ありを取られたものの、寝技の展開から逆に後袈裟固で抑え込み、オール一本勝ちでオリンピック優勝を果たすことになった。これにより、日本の女子選手が世界大会の重量級を初めて制覇することにもなった。

12月の福岡国際では決勝で薪谷を崩上四方固で破るなど、今大会でもオール一本勝ちして昨年に続く優勝を飾った。

2005年2月のフランス国際をオール一本勝ちで制すると、4月の体重別と全日本選手権の決勝では昨年に続いて薪谷を指導1と有効で立て続けに破って世界選手権代表に選出された。9月にカイロで開催された世界選手権では準決勝で佟文に後袈裟固で敗れて3位にとどまった。団体戦の中国戦でも佟文に崩上四方固で敗れたが、チームは3位となった。

2006年2月のドイツ国際では3位だったものの、4月の体重別と全日本選手権の決勝では後輩である東海大学の立山真衣を指導1と体落で立て続けに破って優勝した。9月にパリで開催されたワールドカップ国別団体戦では準決勝のフランス戦で一本勝ちしたもののチームは敗れて3位にとどまった。12月にドーハで開催されたアジア大会には当初78kg超級に出場予定だったが、怪我のため出場を取り止めた。

2007年2月のフランス国際をオール一本勝ちで制して2年ぶり2度目の優勝を飾ると、4月の体重別決勝では薪谷を指導2、続く全日本選手権決勝では兵庫県警の堀江久美子を3-0の判定で破って世界選手権代表に選出された。9月にリオデジャネイロで開催された世界選手権では、78kg超級決勝で佟文に指導1で敗れたものの、無差別では決勝でスロベニアのルツィヤ・ポラウデルを指導2で破って世界選手権で初優勝を飾ることになった。これにより、警視庁の阿武教子に続いて女子では2人目の柔道3冠(オリンピック、世界選手権、全日本選手権)達成者となった。12月の嘉納杯では初戦で中国の徐麗輝に指導1で敗れるが、その後敗者復活戦を勝ち上がって3位となった。

2008年4月の体重別決勝では立山を指導2で破ると、続く全日本選手権決勝では薪谷を3-0の判定で破って大会7連覇を達成して、北京オリンピック代表に選出された。今回の優勝により、1987年から1992年まで大会6連覇を達成した田辺陽子の記録を上回り歴代最多優勝記録を更新することになった。8月の北京オリンピックでは準決勝でポラウデルを横四方固で破るなどオール一本勝ちで勝ち進み、決勝でも宿敵である地元の佟文から先に小外刈で有効を取るなど優位に試合を進めながら、残り8秒で一本背負投の逆転負けを喫して優勝を逃すことになった。

2009年は4月の体重別決勝でコマツの杉本美香に合技で敗れて7連覇を逃すものの、続く全日本選手権決勝では会社の後輩である78kg級の中澤さえを大外刈で破って8連覇を果たして世界選手権代表に選出された。5月のグランドスラム・モスクワでも優勝を飾った。8月にロッテルダムで開催された世界選手権では準々決勝でまたもや佟文に後袈裟固で敗れるが、敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。その後、2010年になって佟文のドーピングが発覚して2年間の出場停止処分が下されたことで、ロンドンオリンピックまで選手生活を続けるモチベーションが一気に下がることになったと述べている(但し佟文はIJFの検査不備を理由にしたCASの裁定により、塚田が引退した翌年の2011年5月から国際舞台に復帰することになった)。続いて、11月の講道館杯では決勝で杉本を指導2で破り今大会初優勝を飾ると、12月のグランドスラム・東京でも決勝でロシアのエレナ・イワシェンコを大外刈で破って優勝を果たした。

2010年は1月に水原で開催されたランキング上位16選手によって争われるワールドマスターズに出場するものの、準々決勝で地元韓国の金ナ永に指導3で敗れて5位に終わった。4月の体重別決勝では1-2の微妙な判定ながら昨年に続いて杉本に敗れることになったが、続く全日本選手権決勝では杉本を大外刈で破り大会9連覇を達成し世界選手権代表に選出された。また、今回の優勝で男子の全日本選手権で1977年から1985年まで同じく9連覇を達成した東海大学の先輩である山下泰裕の記録に並ぶこととなった。7月のグランドスラム・モスクワ決勝では後輩である東海大学の田知本愛を指導3で破り今大会2連覇を飾った。9月に東京で開催された世界選手権では78kg超級準決勝で中国の秦茜に指導3で敗れて3位に終わると、当初出場予定だった無差別には出場しなかった。その後、強化選手の辞退届を全柔連に提出して受理されると、12月には引退会見を開いて、正式に現役引退を表明することになった。

2011年にはJOCのスポーツ指導者海外研修員としてイギリスに派遣されることになった。また、世界選手権では大会を放映したフジテレビで解説を務めた。

2012年のロンドンオリンピックでもテレビの解説を務めた。

2013年4月からは全日本の女子特別コーチにも就任することになった。9月には2年間のイギリス研修を終えて帰国したが、その際に「英国では人生観が変わるほどの経験をした。いろんな見方ができるようになった自分に期待している」と語った。

2014年4月からは本格的な強化に乗り出した東京女子体育大学柔道部の監督に就任することになった。

2015年6月に名古屋で開催された東アジア柔道選手権大会では、女子代表チームの監督を務めた。若手主体のチームが今大会の個人戦及び団体戦で大活躍したことに、「若い世代が本当に伸び伸びとした試合を見せてくれた。わくわくする感触があった」とコメントした。

組み手は右組みで大外刈、払腰、体落などを得意にしていた。背負投が使われることはそれほどなかった。また、寝技も得意であり、足技で崩してから抑込技によく持ち込んでいた。やや半身の構えから相手を引き付ける柔道スタイルで大柄な外国選手にも太刀打ちできる実力を築いていった。さらに、170cmで125kgの体格ながら、自分より二回り以上大きい中国の劉歓緑(195cm、120kg)やポーランドのウルシュラ・サドコワスカ(193cm、150kg)などの超大型選手の奥襟を強引に掴んで払腰や大外刈で投げ飛ばす豪快なパワーをも有していた。後期になると浮落のような一般にはあまり使われないような意外性を有する技も得意技に加えていった。

(参考資料:ベースボールマガジン社発行の近代柔道バックナンバー、JudoInside.com等)。

(無差別以外は全て78kg超級での成績)

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