塙宣之の出身高校

塙宣之 タレント

塙宣之卒業高校
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735位 / 2233人中 タレント別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1978年3月27日生まれ

ナイツは、マセキ芸能社、漫才協会、落語芸術協会所属の塙 宣之と土屋 伸之によるお笑いコンビ、漫才師。

芸人のはなわ(塙尚輝)は実兄。はなわの上にも兄がいるため宣之は三男(甥は「さんまのからくりTV」に出演していることもある)。

千葉にいた頃はいじめられっ子で、家で1人でテレビを見る等して過ごしていた。この時期に大相撲を熱心に観戦したことで現在も好角家となっている。また、野球観戦も好きで、大の巨人ファン。

佐賀に引っ越すといじめられなくなり、中学入学後にはお笑い担当としてすっかり人気者になっていた。中学時代に見たダウンタウンの漫才に衝撃を受け、芸人を志す。松本人志の目の前で漫才をやることを目標にしており、後に『M-1グランプリ2008』に決勝進出して達成した。

高校時代にテレビ西日本のオーディション番組『第3回激辛!? お笑いめんたい子』に出場し優勝している。しかし千葉出身のため標準語に戻したかったこと、更に「ツッコミで売りたくない」という理由で、優勝直後自分からコンビの解散を宣言し、大学入学と同時に上京。当時の相方が後を追う様に上京し何度も説得したが、その信念を変えることは無かった。なお、その元相方は10数年経った現在も塙に未練を持っており、ナイツが売れることは正直複雑だと語っている。更に番組で土屋に対抗意識をむき出しにしたところ、これが話題となり、世間に周知される事になる。

2007年6月、史上最年少で漫才協会の理事に就任。就任した理由は、当日遅刻してしまい到着するまでの間に理事を選ぶ投票が始まり、土屋が隣にいた若手を誘って冗談で入れた塙への数票を師匠たちが若手の心意気と汲み取ったから。

2009年2月11日に一般女性と結婚。2014年2月18日に第1子(長女)が生まれる。

2012年(平成24年)3月2日、NHK佐賀放送局開局70周年記念地域ドラマ「あのひとあの日」に、主人公「兵動宣之」役で、実兄「はなわ」と共に出演した。その後も2013年(平成25年)1月1日放送の『笑点お正月スペシャル』(日本テレビ系)のものまね大喜利でも実兄「はなわ」と共演している。

2013年、テレビ朝日『マツコ&有吉の怒り新党』でレギュラーとしてナレーションを担当している。

2015年4月26日、二代目お笑い大統領に就任。

2015年6月12日、漫才協会の副会長に就任。

演歌歌手の津島亜希の息子。

大学生時代は公認会計士を目指していたが、勉強についていけなくなる。その時に大学の落語研究会のライヴをよく観に行って「癒された」ということで自らも落語研究会に入る。落研では「山銭」というコンビでシュールなコントをやっていた。山銭という名前は当時一年上で部長だった塙が命名。就職活動中に塙から誘われて芸人を志すようになった。

「ナイツのヤホーじゃない方」と言われることがある[7]。そのため「じゃない方芸人」として2009年4月9日の『アメトーーク』に出演し[8]、自身の目立たないエピソードを披露した[9]。

2009年2月8日放送の『おしゃれイズム』(日本テレビ系)で、塙の元相方にライバル視された時は応戦し「あまり(元相方に)近寄らない方がいい」と塙の椅子を自分の方に寄せた事から小競り合いとなり、「何でこんなオッサンを取り合ってんだ!?」と自らツッコミを入れている。なお、その時の模様は、双方のブログで当時話題になっている。

2009年3月7日放送の『チューボーですよ!』で、3月中に入籍予定ということを明かした。プロポーズは電話でした。その後「3月16日に一般女性と3年の交際を経ての結婚」と、18日に報道された。妻と結婚前に同棲を始めて二週間後、夜中に突然泣き出され「楽しくない…」と言われてしまった[9]。妻は元六本木のNo.1ホステスで、土屋は従業員として彼女の送迎を担当していた。結婚後もその主従関係は続いている[10]。

2児の父。2010年10月5日に長男が、2012年6月13日に長女が誕生している。

塙の「ヤホー」のボケに対して毎回違ったツッコミをしている。

眼鏡は伊達眼鏡。TVや劇場ではかけるが普段はしない[11]。

馬が大好きで、馬と馬に乗っている騎手の絵だけうまく描けるという。

2013年6月13日、漫才協会の理事に就任する。[12]

2014年2月26日放送の『マツコ&有吉の怒り新党』では、「新3大・○○調査会」のコーナーで海外ドキュメンタリー番組の吹き替えを担当。3-5人の登場人物の声を全て一人で演じ分け、マツコ・デラックスや有吉弘行から賞賛を受けた[13]。

ともに創価大学の落語研究会出身。塙は26期生、土屋は27期生であり、落語研究会の先輩にエレキコミックのやついいちろうと今立進が、塙の同期には南野やじ、土屋の同期に岸学(どきどきキャンプ)がいる[14]。この時、既に塙は別の相方と「ナイツ」を組んでおり、4年連続で大学対抗「冗談リーグ」で全国1位になっていた。

塙が大学卒業後の2000年4月、4年生だった土屋を誘ってコンビを結成。2人とも名前が「のぶゆき」なので当初コンビ名を「Wノブユキ」にする予定だったが、Wけんじの弟子と勘違いされると思い、「ナイツ」とした。漫才師として内海桂子に、落語芸術協会では三遊亭小遊三に、それぞれ師事。また、土屋の母が所属していたことが縁で、マセキ芸能社に所属する。

コンビ結成直後の同年6月、塙がバイク事故で大腿骨を骨折し、1年間歩けなくなった。その時、土屋は遠くに住む塙の所に3ヶ月間毎日見舞いに行った。また、栃木の牧場に住み込みでビンゴ大会の司会を毎日4ステージするといったピンの仕事をしたりした。これをネタに、面白おかしくすることもある(例:事故に遭った⇒ジーコに逢った、など)。コンビとしての活動を1年間行っていないため結成年を2001年とすることもあるが、実際はオードリー、NON STYLEと同期である。

売れない頃は中野区の集会所を自腹で借り、定期的にネタを披露していた。ロケット団、宮田陽・昇、ホンキートンクを加えた4組で「漫才協会の四天王」と、ロケット団とWコロンを加えた3組で「漫才協会の若手三羽烏」または「 - の若手三銃士」と呼ばれる。

2010年11月に漫才協会の真打に昇進した。

M-1グランプリに2001年度は2回戦敗退。2002 - 06年度は3回戦敗退。2007年度は準決勝敗退。2008年度からは現在の漫才スタイルが完成し、3年連続で決勝進出[15]。以下、メンバーのコメントはいずれも『マンスリーよしもとPLUS』より抜粋)。

2008年度は優勝候補の呼び声が高かった。決勝では鉄板の「ヤホー漫才」を披露。1回戦は4番手で「宮崎駿」を題材にしたネタで3位通過。前評判どおり最終決戦に駒を進める。最終決戦では1番手で「SMAP」を題材にしたネタを披露したが、0票で3位に終わる。優勝は正統派超高速漫才[16]を得意とするNON STYLE。土屋は「出来が全然良くなかった。僕なんか緊張で命にかかわるくらい口が渇いてた。師匠から浅草東洋館と思ってやれと言われたけど無理だった。」塙は「同じボケを詰め込むネタだけど、NON STYLEさんは全然スピードも練習量も違った。あんなに速いのに1回も噛まなかったし(塙は1度だけ噛んだ)。圧倒的だった。」と振り返っている。同大会で2位だったオードリーとはこの大会以降番組共演が多く、また、良い関係を築いている。

前年度に引き続き優勝候補の呼び声が高かった2009度は1番手で「自己紹介」というネタを披露。1番手は最も不利とされるが、「トップバッターで逆に他のコンビと比べられることがないので落ち着いて出来た」という。暫定3位に付けたが、敗者復活枠のNON STYLEに7点差で抜かれ、最終結果は4位。奇しくも2年連続で同じコンビに優勝を阻まれる結果となった。優勝はナイツと同じく緻密で練りこまれた正統派漫才[17]を得意とするパンクブーブー。土屋は「パンクブーブーさん、笑い飯さんの1本目のネタを見て、これは正直負けるかなって思いました。」塙は「笑い飯さんがすごいのは分かってたけど、パンクブーブーさんのネタの完成度にはショックを受けた」と振り返っている。

ラストイヤーとなった2010年度は5番手で「2010年のニュース」という、前半の件を全て後半のフリに使うという時事ネタを披露。銀シャリと1点差で暫定3位に付けるも、最終順位は6位に終わる。優勝は「Wボケ」という変化球漫才[18]を得意とする笑い飯。土屋は「出番直前のアオリ映像で『ニューナイツ』と紹介されたんですけど、蓋を開けてみたらパンクブーブーさんのほうが大きく変わっていたという(笑)。本当はああいうことをやりたかったんです。」塙は「笑い飯さんのネタの途中でほぼ諦めてました。その後にはパンクブーブーさんもいたし。」と振り返っている。優勝候補と目されながらも3大会とも優勝したコンビに差を付けられる形となった。

優勝は逃したが審査員の評価は高く、2008年度は松本人志に「4分間に何個笑い入れとんねん、みたいな(塙 『37個くらいだと思います』)。凄いなと思って。決勝も見たいと思いました。」と評され、2009年度は不利とされるトップバッターにもかかわらず、島田紳助に「皆が困ったのは基準点になるんですよ。だから本来は88点ぐらいで止めたいんですよ。ただ、去年よりめっちゃ良かったね。1年間で進化してるし、土屋上手くなったよ。」と絶賛された。2010年度は宮迫博之に「ジャルジャルやスリムクラブみたいな漫才のカテゴリーなのか分からないコンビがいる中、正統派の漫才でやっぱり上手かった。ただ、落ち着いてやりすぎたかな。」、渡辺正行にネタ自体は評価しつつも「いまひとつ、勢いがない。なぜなんだろう。勝ちにいくぞ! という気持ちがちょっと、見えない。もったいない」と評された。島田紳助は「(彼らより先の出番だった)スリムクラブで自分の審査基準がおかしくなった。客にはウケなかったけどやっぱり上手いなと思った。」と述べ、ナイツが順番に泣かされた状況を示唆した。ちなみに、2009年度に獲得した634点はファーストラウンドで1番目にネタをやったコンビでは最も高い点数であり、2010年度に獲得した626点はファーストラウンド6位のコンビでは最も高い点数である。

2010年度を以てM-1グランプリが終了した後、メンバーは「M-1に限らず、漫才の大会で優勝する決め手はハマる、ハマらないかだと思う。僕らの場合は決勝で一度もどハマりする漫才が出来なかった。」(塙)「あれだけチャンスをもらって出来なかったんで、それはしょうがない」(土屋)「M-1でハマる人もいれば違うところでハマる人もいるわけで、僕らは違うところに使命があるのかなと思っています」(塙)と語っている。その後、M-1の後継プロジェクトとして誕生した『THE MANZAI 2011』に出場し準優勝を獲得した。

当初は一般的な漫才や野球ネタを披露していたが、2007年に3分間で100個ボケられるかを試したところ、できたために塙が一方的にボケつづけ、土屋がツッコミながらそれを訂正する現在のスタイルが誕生した。また、野球のネタばかりの中にひとつ野球以外の脱線したボケを入れるとうけた事から野球ネタの比重が少なくなっていったという。以前は過激なツッコミをすることもあったが、テレビへの露出が増え、土屋はツッコミの際にボケの塙を絶対に叩かなくなった。

塙が興味をもったことをインターネットで調べ、それを覚えて発表しながら間違える言葉遊びのようなネタを得意とする(例:Yahoo!→ヤホー、Google→ゴーグル、Goo→ゴーなど)。これが『爆笑レッドカーペット』で好評となり、同番組2008年12月17日放送分でYahoo!から花と記念品をプレゼントされ、ついにYahoo!から公認されたことを告白した。

同じネタでも、演じる場所や客の年齢層によって話し方・内容・スピードなどを微妙に変える技術を持つ。寄席などの年配者が多いところではゆっくりと語り台詞も多く、『爆笑レッドカーペット』などの持ち時間の短いところでは簡潔にてきぱきとたたみ掛ける。

2010年以降は、自己紹介や塙の趣味を題材にしたネタを頻発に披露している。流行や社会をテーマにしたネタも作るが、従来のような「ヤホー」のボケは組み込まれなくなっている。塙が漫才の中盤で「調子が悪い。今日俺何の話してましたっけ?」と言い出して前半を振り返り、それを振りにさらにボケを重ねていく構成のネタをすることもある。ネタによっては下ネタをすることもあれば、酒井法子の名前を出すなどのネタもある。

テレビ

ラジオ

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