阿部巧の出身高校

阿部巧 サッカー選手

阿部巧卒業高校
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性別
男性
生年月日
1991年5月26日生まれ

阿部 巧(あべ たくみ、1991年5月26日 - )は、東京都大田区出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(左サイドバック)、ミッドフィールダー(左ウイングバック)。

大田区立矢口東小学校1年生(6歳)の時にサッカーを始める。同6年次に東京U-12に選出される。その後、FC東京と横浜FMのU-15チームのセレクションを受けたのち、FC東京U-15深川への入団を決める。2007年にFC東京U-18に昇格。それまではFWやトップ下など攻撃的な位置でプレーしていたが、U-18昇格後は倉又寿雄監督により左サイドバック(SB)へとコンバートされた。U-18での1年目からトップのサテライトリーグに抜擢され出場し、その試合後にトップチーム監督(当時)の原博実が「今日はユースの子(阿部)が一番良かったね」と述べるなど、そのプレー振りが高く評価された。2009年秋、U-18の同期である重松健太郎、平出涼とともに翌年からのFC東京トップチーム昇格が発表された。

2010年5月22日のナビスコカップ第3節新潟戦で初のベンチ入りをするも、出場機会を得ることはできず、同年7月より横浜FCへ期限付き移籍。横浜では左SBのレギュラーに定着した。岸野靖之監督からは長所として積極性と運動量、短所としてヘディングの競り方を挙げられた。期限付き移籍期間満了のため、同年限りで横浜FCを退団した。

2011年はFC東京へ復帰。シーズン序盤は左足からのクロスを武器に 左SBのレギュラーとして奮闘したが、平山相太・高松大樹といった長身FWの離脱による戦術変更 を機に控えに追いやられた。

2012年、再び横浜FCへ期限付き移籍。長距離を走り抜く力を高く評価され、リーグ戦での出場時間はチーム内で最長を記録した。

2013年、FC東京に復帰。太田宏介らとのポジション争いに臨むも 公式戦の出場はなく、同年8月より複数受けたオファーの中から松本山雅FCへ完全移籍。3バックを採用する松本では 左ウイングバック(WB)として出場を続け、運動量と攻撃力でサイドを活性化させた。

2014年、アビスパ福岡へ完全移籍。同年入籍。チーム屈指の体力で 4バック時には左SB、3バック時には左WBとしてサイドでの上下動を続けた。

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