金子原二郎の出身高校

金子原二郎 議員

金子原二郎卒業高校
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性別
男性
生年月日
1944年5月8日生まれ

金子 原二郎(かねこ げんじろう、1944年5月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。

長崎県知事(民選第14・15・16代)、衆議院議員(5期)、長崎県議会議員(3期)、参議院決算委員長等を歴任。

農林水産大臣や科学技術庁長官を務めた元衆議院議員の金子岩三は父。

長崎県北松浦郡生月町(現平戸市)生まれ。1968年、慶應義塾大学文学部を卒業し日本水産株式会社に入社。

1975年、長崎県議会議員に初当選し、以後3期連続当選。3期目の任期途中の1983年、父・金子岩三の死去に伴い、第37回衆議院議員総選挙に旧長崎2区(定数4)から自由民主党公認で出馬し、日本社会党の石橋政嗣に次ぐ得票数2位で当選した。当選後は衆議院法務委員長や建設政務次官を務める。

1998年、衆議院議員を辞職。長崎県知事選挙に無所属で出馬し、当選した。以後3期連続で当選し、2010年2月まで知事を務める。

長崎県知事在任中は市町村合併を積極的に推進したほか、長崎県美術館・長崎歴史文化博物館等の観光・文化施設の建設、諫早湾干拓事業、九州新幹線長崎ルート建設を推進したが、「必要性に疑問がある大規模公共事業」の典型例に挙げられる後者二事業については、県内外に賛否両論がある。

2005年6月、麻生渡福岡県知事(当時)の全国知事会長就任に伴い、麻生の後任の九州地方知事会長に就任。知事退任を控えた2010年に広瀬勝貞大分県知事に交代するまで同職を務めていた。

2009年11月、「自ら取り組んだ仕事に一定の道筋がついた」として翌年2月の長崎県知事選挙に出馬せず、知事を退任する意向を表明した。2010年2月の長崎県知事選では、元長崎県副知事の中村法道を支援し、中村は橋本剛(民主・社民・国民新党推薦)を破り初当選した。

知事退任後、自由民主党長崎県連の各支部から、第22回参議院議員通常選挙において自民党公認で長崎県選挙区から出馬、当選し、国政に復帰した。当選後、衆議院時代も所属していた宏池会に再入会。2012年、自由民主党総裁を退任した谷垣禎一を中心に旗揚げされた勉強会「有隣会」にも重複して参加した。同年、参議院決算委員長に就任。

諫早湾干拓事業では、干拓後の造成農地に入植した農業経営団体の中に金子の親族が経営する企業が含まれていたため、批判を受けた(当該農業生産法人は金子知事の長女が取締役を務めていた他、代表取締役は当該干拓事業の主務官庁である農林水産省の大臣政務官を務める谷川弥一衆議院議員の長男であった)。

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