淡口憲治の出身高校

淡口憲治 プロ野球選手

淡口憲治卒業高校
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868位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1952年4月5日生まれ

淡口 憲治(あわぐち けんじ 1952年4月5日- )は、昭和後期から平成期(1970年代~1980年代)のプロ野球選手。兵庫県出身。右投げ左打ち。ポジションは外野手。現役時代は腰をプリっと振るフォームからスピーディーな打球を飛ばす「コンコルド打法」の持ち主であった。また、彼を代打に送ろうとした長嶋茂雄監督がバントの構えをして『代打、淡口』と球審に告げたことは有名な話である。1971年に三田学園高からドラフト会議 ドラフト3位で巨人に入団。1975年には、低迷するチームの中で頭角を現し、規定打席不足ながらも打率.293の成績を残し、将来を嘱望された。翌1976年には北海道日本ハムファイターズ 日本ハムファイターズから張本勲が移籍。張本、柳田真宏 柳田俊郎、末次利光 末次民夫とのレギュラー争いに敗れ、それからは代打の切り札として活躍した。1983年にプロ入り初の規定打席到達。打率.302の成績を残したが、駒田徳広や吉村禎章といった若手の台頭もあり年々出場機会が減少し、1985年オフ、有田修三とのトレードで山岡勝投手と共に大阪近鉄バファローズ 近鉄バファローズに移籍。1986年に115試合出場、打率.297の成績を残し、外野手のレギュラーを獲得した。1989年の日本シリーズでは古巣の巨人と対戦。第2戦で後輩の桑田真澄から同点タイムリーを放つ。この日本シリーズを花道に現役引退。

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