榊莫山の出身高校

榊莫山 芸術家

榊莫山卒業高校
上野高校 偏差値 三重県高校偏差値ランキング
芸術家ランキング
116位 / 327人中 芸術家別偏差値ランキング

榊 莫山(さかき ばくざん、本名:榊 齊(さかき はじむ)、1926年2月1日 - 2010年10月3日)は、日本の書家・作家・元教諭。

「バクザン先生」の愛称で知られる。前衛的な書画と、作品のイメージ通りの飄々とした印象で、宝酒造の「よかいち」のテレビCMをきっかけにバラエティ番組などにも多数出演。

また、エッセイなども多数著し、関連も含めると100冊を超える。また、商品のロゴなども多数手掛けている。司馬遼太郎と長年親交があり、司馬の作品『空海の風景』に登場した。

京都府相楽郡大河原村南大河原(現・南山城村)にて、小学校の教頭の長男として生まれ、三重県名賀郡古山村菖蒲池(現・伊賀市)で育つ。1938年、三重県立上野中学校 (旧制)に入学。同校では、書を松永楳園に、油絵を佐々木三郎に学ぶ。

1943年に同校を卒業し、三重師範学校(現・三重大学教育学部)に入学。在学中、学徒出陣で徴兵され、沖縄に派遣される予定だったが、艦船がなかったために鹿児島で足止めされ、そこで敗戦を迎える。敗戦と同時に三重に帰郷し、三重大学を卒業。後に選科生として京都大学文学部に入学し、井島勉のもとで美学を学んだ。なお、京都大学卒業とされる場合もあるが、2015年現在に至るまで卒業の事実は確認できていない。

師範学校卒業後、隣村の国民学校(現在の公立小学校に相当)に公務員の教員として勤務。1946年、奈良国立博物館の第1回正倉院展を観に行った足で奈良在住の書家・辻本史邑に入門し、書の道に入る。日本書藝院展に出品した漢詩で推薦一席(最高賞)を1951年から2年連続で受賞するなど、20代の頃から頭角をあらわし、頂点にまで上り詰めるも、辻本の死を機に1958年、日本書藝院や奎星会を退会して書壇から退き、以後は特定組織に属さず独自の世界を作り続けた。

1952年3月、故郷の伊賀から大阪に移住し、大阪府大阪市や八尾市に住んでいたが、約30年後に故郷の伊賀に帰った。

50歳を過ぎて自然豊かな故郷の伊賀に戻ってからは、山野を歩き、自然に着想を求めた素朴な画に詩文を添えた「詩書画」の世界を確立した。

かつては公立の高等学校で書道と国語の教員を務め、公立学校の教職員組合活動にも参加したことがあった。

榊はリベラルな思想の持ち主であり、日展の保守的体質には批判的。政党では日本共産党に期待を寄せるコメントを出したことがある。また、昭和天皇の戦争責任についても「わたしは、昭和天皇と東條英機とは、りっぱな戦争責任者だ、と思う」と発言したことがある。

ジャン・ミッシェル・ジャールの『磁界』を愛聴し、「ジャンの曲には、追憶と幻想が入りみだれ、わたしの脳髄の吐息を、やわらげてくれた」とも語っている。

2010年10月3日、急性心不全のため、奈良県天理市の病院で死去。84歳没。

タレントから書家に転じた越前屋俵太の書家としての号・俵越山は榊にあやかって命名されている。

孫の榊太基は伊賀市の伊賀青年会議所(伊賀JC)で地域革新委員長を務め、同市のマスコットキャラクター「いが☆グリオ」をデザインした。

芸術家偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

芸術家偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング